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2004.3 March |
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| 特集 国語教育はこれでよいか |
| 【提言】 |
国語科が当面する課題とは |
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国語科教師に求められていること |
若木常佳 |
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はじめに
義務教育は生涯にわたる学習のスタート地点である。したがって学校教育においては、変化の激しい時代において自己を見失わず、変化に対応し続けていくことのできる力の育成を考えなければならない。学習者一人一人に、「これからの時代の中で、各人がより良く生きるための国語力」(注1)を体得させることが我々国語科教師の責務であり、効果的にしかも確実に、学習者に力をつけることができる指導のあり方を模索していかなければならない。そのキーワードは「立つな・話すな・整えよ」にあると考える。では何をどのように整えていけばよいのか、三つの視点から考えてみたい。
一 学習着の位置を示す座標軸を整えること
指導において重要なことは、その学習者の状態を正確に把握し、最も適した次の一歩を示すことである。そのためには、指導者側にステップアップのための具体的な道筋とゴールが見えていなければならない。言語活動は「話す・聞く・書く・読む」の複合である。したがってその学習者の示している症状を見極め、必要な学習を処方するためには、それらを形成している要素の洗い出しが是非とも必要である。この活動のためには何ができていなけれぱならないのかということを見極め、それらを体系的に整理した、いわば活動を縦横に切るための網の目、系統的に整理した座標軸を、指導者が持たなけれぱならない。
現在現場の教師の多くが突きつけられている「評価規準の作成」とは、そういうことである。言語活動の理想像と現状をつなぐ一つ一つのステップこそが、評価規準であり、したがって、その単元やその学習活動のためだけの評価規準であっては意味がない。少なくとも、中学生の現状からすると、小学校から含めた九年間のステップが準備されていなけれぱなるまい。資料1は、平成一二年に作成し、現在も活用している実際例である。小中の指導要領とともに種々の文献、そして、これまでの学習者の躓きや、指導者自身の体験を材料として作成している。既に示されたものを借りるのではなく、不十分でも自身で力の要素を解析し、体系化していくその過程こそが、指導者の宝となるものであり、力量を育てるものなのではないだろうか。
こうして整備したステップは、指導のためだけでなく、学習者にも是非活用させたい。つまり「評価規準の共有化」(注2)である。座標軸を学習者に分かる言葉に直し、学習に向かう際や学習が終了する際に、自己評価、あるいは相互評価させる項目として生徒に提示するのである。
| 自分の学習傾向がわかる・何をがんばれぱよいのか具体的にわかる・自分の知らないところで評価されているのではないから安心・自分の力の積み重ねがよく見える・自分の足りないところを目標にできるからよい |
これは学習者が示した反応である。初めは指導者から示された視点が、繰り返し日常的に行われることで、いつの間にか自らの学習や成長を見つめる視点として定着している様子が見える。指導者から与えられるだけを待つことなく、自分が自分のための道筋を常に探ろうとする学習者の誕生である。
二 学習者を導く手だてを整えること
(1)場の設定
こうした学力の分析とともに重要なのが、いつどのような形で学習させるかということである。三年聞の系統性と学習者の実態、それに適切な教材を組み合わせて、最も効果的な時期に、学習活動を設定する。つまり【萌芽】の見極めである。
「学習者にとって必要感も目的意識もない言語学習・言語練習は、学習者を国語嫌いに追いやる結果を招きやすいし、たんに言語経験をさせるだけの言語活動学習は学習者に学習の充実感を与えない。」(注3)つまり、学習者が思わず読みたくなるような、書きたくなるような、話したくなるような、聞きたくなるような場や状況を設定し、本気で、夢中で活動を行わせ、その中で確実に言語能力が付けられていくように整えることが指導者に求められているのである。
(2)個への対応
価値ある言語活動を通して、つけさせたい言葉の力を確実につけさせるためには、学習者の言語活動を導く何らかの手だてが必要である。それは学習者個々の課題に即応できるものが望ましい。そこで注目したいのは、大村はま氏が作成した多くの「学習の手びき」の存在である。
大村はま氏の「学習の手びき」には、次に示す五点の要素と一〇点の機能を見出すことができる。(注4)
・・・・・・(以下、本誌をご覧ください)
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