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2004.5 May |
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論争的作文指導
子どもたちが生きていくことにとって、質の高い作文力は必須のものである。「効率」を重視することは必要であっても、それによって作文指導をやせ細らせるようなことがあってはならない。
ここでは、今まであまり実践されることのなかった新しい形の作文指導のあり方を提案したい。そのことは、結果として「効率」につながる側面をもっているかもしれない。が、「効率」そのものが目的ではない。
提案の要点は、論争的作文指導である。
説明的文章の読みの発展としてのリライト作文指導
説明的文章を読むことについての指導は、今まで様々な形で行われてきた。優れた指導も多く行われてきた。子どもたちに読む力がついていると実感できる指導もあった。
が、いずれの指導にも、文章を「吟味」するという要素は、ほとんど見られなかった。吟味には、優れた点を評価する要素と不十分な点を批判する要素とがあるが、特に後者の批判が弱かった。
子どもたちが本当の意味で主体的に文章を読んでいく力をつけていくためには、評価と批判を含んだ吟味の学習が是非必要である。そして、その吟味の学習には、その発展として当該の文章のリライト学習が必然的に位置づいてくる。
今まで、「読むこと」と「書くこと」との関連指導の必要性が言われてきた。しかし、実際には、木に竹を接いだような形の指導が多く、関連の必然性がもう一つ見えなかった。が、説明的文章の吟味学習を発展させる形のリライト学習は、読みの過程で発見した不十分さを、書くことによって乗り越えていくという必然性をもっている。
吟味そのものが論争性を含んだものである。だから、このリライト学習にもその論争性が内包されている。また、読むことの学習の発展であるから、比較的時間は取られない。
リライト学習は、次のような短い段落について行うことも可能である。教科書の説明的文章教材の一部分である。
そこで、一九八五年以降、たびたび国際会議が開かれるようになった。そして、世界じゅうでフロンガスの生産や使用をできるだけ早くやめようという約束が結ばれた。
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この第二文は、二つの解釈を許してしまう。問題なのは「世界じゅうで」である。この言葉が、「できるだけ早くやめよう」にかかるのか、それとも「結ばれた」にかかるのか、わかりにくい。
前者とすると、<世界じゅうでフロンガスの生産や使用をできるだけ早くやめよう>という約束が、どこかで結ばれたということになる。後者とすると<フロンガスの生産や使用をできるだけ早くやめよう>という約束が、世界じゅうあちこちで結ばれたということになる。
これをわかりやすい文章にしていくためのリライトを、前者・後者それぞれの可能性について指導する。たとえば、前者の場合、次のようなリライトが可能である。
そこで、一九八五年以降、たびたび国際会護が開かれるようになった。そして、フロンガスの生産や使用をできるだけはやく世界じゅうでやめていこう、という約束が結ばれた。
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リサーチ学習を組み合わせ、実際には前者なのか後者なのかを確かめさせ、その上でリライトをさせていく形もある。
もう少し広い範囲を対象とした吟味・リライト学習もある。次も教科書の説明的文章教材の一部分である。
魚には音が「聞こえるか」どうかを問題にしている部分である。養魚場の番人は、毎朝八時に鳴る教会の鐘を合図に鱒にえさをやっていた。そのうちに、自分が行く前に、その時間に鳴る鐘の音を聞いて鱒が集まってくるらしいことに気付く。そこで、番人と研究者が、朝八時に番小屋に隠れて池の様子を観察する。
そのラドクリッフ博士が、養魚場のできごとを伝え聞いて、たずねてきました。博士は、初めのうちは、「ますが集まってくるのは、かねの音のためではあるまい。水にうつる番人のかげを見て集まるのであろう。」と言っていました。それで、明くる日の八時前、養魚場にやって来て、番小屋の中から、池のようすを見張っていました。
やがて、教会のかねが鳴りだしました。すると、えさ場付近が、にわかにさわがしくなって、ますが集まってきました。□を水面に出して、たがいに他をおしのけるようにして寄り集まったため、まるで、夕立がかわいた木の葉をたたくような、やかましい水音がしています。これで、魚が音を聞き分けるということが、はっきりわかったわけです。ラドクリッフ博士も、これを見て、自分の考えを変えないわけわけにはいきませんでした。
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少なくとも、この部分には三つの不十分さがある。一つ目は、鱒のこの実験だけをもって、「魚が音を聞き分けるということが、はっきりわかった」と言い切ってしまっていることである。他の魚での実験なしにここまで言うことはできないはずである。
・・・・・・(以下、本誌をご覧ください)
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