2004.8 August
特集 多忙に負けない読書法開発
【論文】(1)  多忙な人ほど、本を良く読む 亀井浩明
一 少年時代の読書

 私には、九十四歳になる母がいる。ある日、私は、母に、「お母ちゃん、おれに勉強しろと言ったことないね」と語った。それに対し、母は、「それは、そうだよ。私は大体勉強大嫌いだもん。だから、子供に勉強しろなんて言う訳ないじゃない」と胸を張って得意そうに答えた。
 私は、母の教えを忠実に守って勉強しなかった。ただ、ひとつだけ母の教えと違うことをやった。それは、比較的に本を良く読んだことである。実は、母はそのことも嫌がっていた。当時、母の言った言葉で今でも覚えているのがある。親戚のものが家へ来た時のことである。母は、親戚のものに私を指差して、「この子は危ないんだよ。なんでも読んじゃうからね。気をつけてよ。変な本を置かないでよ。」と言った。
 私は、少年の頃からいろいろな本を読んでいた。父が読書家で家には本がたくさんあった。だから、当時ノラクロが大流行だったが、そんなものは読まなかった。立身出世物語の宮本武蔵など小学校五年生位で卒業して、六年生の頃はニヒリスティックな大菩薩峠を読んでいた。
 次は、もう亡くなった父に関する思い出である。中学校一年生位の頃だと思うが、父が、私に、自分の本箱の中を指差して、「この本は読むな」と言ったことがある。それは、戦前に刊行された改造社版の「マルクス・エンゲルス全集」であった。
 もうひとつ、当時の本に関する思い出がある。中学二・三年生(昭和十九・二十年)の頃である。当時、私は勤労動員で軍需工場で旋盤工として働いていた。ある日、さほって、防空壕の中でひとりで本を読んでいるところを見回りに来た工場長に見つかってしまった。工場長は私の本を取り上げ、工場長室に来るように命令した。そこで、私は、工場長室へ行った。部屋へ入っていくと、工場長が何か戸惑ったような表情で、私に「ずいぶん難しい本を読んでいるね」と言った。読んでいたのは、徳富蘇峰の本であった。本が本だったので、工場長は叱るに叱れずそう言ったのであろう。
 さて、ここまで書いてきて、後で触れることとなるが、私と少年非行との関係を考えた。当時も不良と呼ばれる少年達がいた。変な服装をしたりするものがいた。私だってもちろん思春期特有の心の乱れはあった。しかし、私は変な服装をしようなどと考えたこともなかった。中学三年生の頃、谷崎潤一郎の「羹」を読んで、東京へ行ったら、「笹の雪」で湯豆腐で一杯呑もうと考えていた。そういう少年が変な服装など子供じみたことをするはずがない。

二 本と思想

 戦後、東京の上級学校に入るようになって、相変わらず勉強はあまりしなかったが、読書は雑多のものだが続けていた。私は、当時のことを、次のようにふざけて言ったことがある。
 「私の十代から二十代にかけての頃、つまり昭和二十年代前半、私はマージャンとアルバイトに忙しくて本を読まなかった。だからおかげでマルクス主義者にならなかった。」
 少々きわどい冗談だが、まんざら嘘でもない。真面目な青年の中のかなりの連中がマルクスの理論に魅き付けられていった。しかし、当時の私の心境を支配していたのは、思想っていい加減かも知れないという疑念である。昭和二十年八月十五日を契機にがらっと変わった思想家がいっぱいいる。「思想っていい加減かも知れない」その一例として、ハイデッガーがあげられる。
 「二十世紀、最高の著作は何か」と世界の学者にアンケートをとったら一位になるかも知れないのが、ハイデッガーの「ザイン・ウント・ツァイト」である。そのハイデッガーがナチスに入党していたというのは、有名な話でいろいろな見解がある。しかし、なお、真相は不明だ。しかし、ひとつ言えるのは、そのことが思想の存在意義あるいは思想への信頼性を極度に低下させたということである。「ザイン・ウント・ツァイト」の著者がナチスに短期間とはいえ入党していたとなると、哲学書は無意味だということとなる。
 同様の事態が今も見られる。第二次世界大戦終了から半世紀以上経過し、二十一世紀に入った。今、私にとって、二十世紀は何であったか、特に、戦後は何であったかが、ひとつの課題である。そこにあるのは、やはり思想は無意味かもしれないという疑念である。
 その課題意識から見て、典型的な事例がある。それは、一九九八年にサンクトペテルブルクで行なわれた、ニコライ家の葬儀である。その葬儀は、国家式典とされエリツィン大統領も参列したという。そうなると、あの二十世紀最大の社会変化であったロシア革命は、まったく意味のないこととなる。こうして理論への絶望が発生する。本を読んでもしようがないということとなる。毎日やりたいように生きるのが良いという理論に反論できなくなる。前述のように、マージャンとアルバイトに忙しくて、本を読まなかったためにマルクス主義者にならなかった私は正しかったのかもしれない。
 私は、思想は無意味かも知れないという疑念を抱く経験をこのように二度している。でも思想なしでは、あまりにも淋しい。私は、宗教をもたない主義だから、そうなると、ほんとうによりどころがない。そこで、私は、カントに登場してもらうことにしたのである。
・・・・・・(以下、本誌をご覧ください)