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2004.9 September |
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はじめに
今井邦彦『なぜ日本人は日本語が話せるのか』(大修館書店、二〇〇四年)という書物がある。その中で、人間の母語獲得能力が驚異的であるということを述べた後に次のような解説がなされている。
40年ほど前、チョムスキーという言語学者が「人間には普遍文法が生まれながらに備わっている」という仮説を提唱し、今はほとんどの言語学者がこの説を受け入れている。「普遍文法」は「言語獲得装置」とも「言語機能」とも「言語器官」とも呼ばれる。人間にはほかにも「○○器官」と呼ばれるものが備わっている。たとえば「視覚器官」がそうだ。我々はみな視覚器官、つまり眼を備えて生まれてくる。ただ生まれたては何も見えず、そのうち明るい・暗いの区別ができ、やがては色彩・形状・遠近等々を見分ける、つまり大人と同じような視覚能力ができあがる。この過程の赤ん坊が周囲の人を真似したり、何かを覚えたりしているはずがない。同じように、人間が「言語器官」を持って生まれてくるのであれぱ、母語習得が右で見たように驚異的な効率で行われるのは不思議ではなくなる。違いは、生まれてから大人と同じような視覚能力ができ上がるまでの時間に比べて、大人のように母語を自在に使う能力ができ上がるまでの時間の方がいくぶん長いということだけだ。
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こういうチョムスキーの仮説は「今はほとんどの言語学者がこの説を受け入れている」という状態にあるが、チョムスキーの与えた影響は言語学の分野にとどまらない。「言語は、本人の努力による『学習』の結果生ずるのではなく、言語の元になる能力、すなわち言語知識の原型がすでに脳に存在していて、その変化によって言語の獲得が生じると考えればよい。」(酒井邦嘉『言語の脳科学』中公新書、二〇〇二年、47頁)とあるように、脳科学の分野でもこの仮説を基盤にしている。さらに、認知神経科学の分野においても、スティーブン・ピンカー著椋田直子訳『言語を生みだす本能』(NHKブックス、一九九五年)に代表されるように、同様の考えが示されている。時代の先端をいくこういった分野においてもその前提となっている「人間には普遍文法が生まれながらに備わっている」という仮説を認めたとき、口語文法(この特集では「敬語」も含めているのでそれらも合わせて)の教育はどうあるぺきなのかについて、正面から検討しておかなくてはならない時期にきていると思われる。
発達認知神経科学からの示唆
先の引用中、言語器官を説明するにあたって視覚器官の例が挙げられていたが、脳機能イメージング学専攻の小泉英明氏が、二〇〇〇年三月十六日の読売新聞の「論点」の中で、視覚器官を例にして、神経回路の形成について次のようなことを書いている。
神経科学の世界ではよく知られた実験がある。生まれてしばらくした子描に眼帯をかけて数週間片目を覆うと、失明してしまうという。また、縦じま入りのゴーグルをかけて、常に縦じましか見えない環境で育てた子猫は、縦線は見えるが横線が見えなくなる。
脳の素材としての神経は遺伝子の情報によって準備されるが、肝心の神経回路は自分を取り巻く環境からの入力刺激があって初めてつくられるからだ。眼帯の実験でいうと、右目と左目からの視覚信号を処理する大脳皮質は、互いに入り組んだ微細柱状構造からできており、両目からバランスのとれた入力刺激が入らないと正確な神経回路が形成されないためとされる。また、ゴーグルの例でいうと、縦線からだけの入力刺激では、横線を処理する神経回路ができないからという。
子猫の実験は広く示唆的である。過保護というのは、神経回路の発達段階にある赤ちゃんや多くの子供たちにとって、この眼帯と同じ働きをすると言えないだろうか。例えば、足が冷たいだろうとはかせるソックスも足の裏や足先への刺激を覆ってしまう。赤ちゃんが自分の手で食べ物を口にもって行こうとしているのを、汚すからといってスプーンで食べさせてやるのも、神経科学から見れば大切な手の働きにとっての目隠しだ。(中略)
科学が明らかにしつつある理想の教育は幼児期に自然環境からの刺激を十分に取り込ませるとともに、親子の強いきずなと励ましによって自分たちの神経回路をみずから進んでつくらせていくことである。
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「脳の素材としての神経は遺伝子の情報によって準備されるが、肝心の神経回路は自分を取り巻く環境からの入力刺激があって初めでつくられる」とあるが、言語器官の形成もこれと同じようなことが考えられる。入力刺激が「日本語」ならば日本語が、「中国語」ならば中国語が母語になる。ただし、これには、子猫の視覚能力が生まれてから数週間のうちに決定されるのと同様に臨界期があり、その期間は長く、12年間ほどだと言われている。さて、このような能力を獲得させるにあたっては、「科学が明らかにしつつある理想の教育は幼児期に自然環境からの刺激を十分に取り込ませるとともに、親子の強いきずなと励ましによって自分たちの神経回路をみずから進んでつくらせていくことである。」と述べられている。こう考えてくると、文法の獲得もこういうやり方で行った方がよい、ということになる。
・・・・・・(以下、本誌をご覧ください)
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