2004.11 November
特集 古典の指導力を磨く
【実践提案】  私のとっておきの古典指導
(1)  古典を私たちの価値観と照らし合わせて読む 平岡敦子
はじめに

 現在の高校の古典指導においては、助動詞などの細かい文法事項に注意が注がれ古典を文学教材として楽しむ授業が軽視されているように思われる。ただ細かい文法や訳にこだわる授業で古典を学んだといえるのだろうか。
 私は古典を学ぶ意義を次のように考えている。
(1)まず、当時の人々の考え方、生き方を知ることができる。
(2)そして、古典を通じて現代の自分たちの生活、考え方、生き方を捉えなおすことができる。
 昔の人々の生活、考え方と現代の私たちの生活、考え方とを照らし合わせ自分たちの生き方まで考えさせる古典の指導を展開している教師はどのくらいいるのだろうか。
 私の勤務する愛農高校は進学校ではない。日本で唯一、農薬を使わない有機農業に学校全体が取り組んでいる私学である。全校生徒が六十名という小規模校で、本校では受験に関係なく独自の授業を実践できる。私は本校で古典を指導する際、先に述べた古典を学ぶ意義を生徒が感じてくれる授業作りをめざしている。
 今回のレポートでは、本校で古典を指導した際の実践例を報告させて頂きたい。

指導の実際

【1】二〇〇三年度一学期一年生(二二名)の授業で古典「児のそら寝」を扱った。
(第一時〜第五時)
 助動詞などに触れ、生徒に訳をさせ、内容の確認をした。
(第六時〜第七時)
 この児のようにタイミングがずれてしまうことで笑われたり、その場がしらけてしまったりすることは現代でもありうることであることを生徒たちに認識させるため、また現代にも通じることが古文に描かれていることを認識することで古典に対する親しみをもってもらうために、この児のような状況を自分たちの生活から振り返る、あるいはこういう経験の無い場合もこういう状況を想定し、物語(スキット)を作るという授業を行った。
[生徒作品]
議会の時、二つのことについて話し合うことになりました。まず、一つ目のことについて話し合っている途中考えごとをしてぽんやりしてしまいました。二つ目の議題に入った時にもぼんやりしていたので、議題が変わったことにも気づかずに一つ目の議題について考えていました。そして、いい考えが思い浮かんだので言ってみたところ、あたりが静かになってしまいました。
友人Aが授業中に寝ていて、授業が終わる前に、「Aさん、Aさん。」と呼ばれていたのに起きなくって、授業が終わったら「はいっ。」と言って起立したので周りの人たちに笑われていた。
先生を呼んだ時、無視されて笑われた。
調理実習の時、調理メニューを紹介するために調理室から食堂に出た。その時、長靴を履いたままで出てしまって恥ずかしかった。
中学校の時、いつも食事の前は食膳感謝の歌を歌った。ある日、みんな寝ていた時、急に、
「ひびのかーてーをー。」
と寝言でその歌を歌った人がいた。すごくおとなしい人だったから、めちゃおもしろかった。
ある少年が腹が痛いといつわって学校を休んだ。その日の昼、母は少年の大好きなものを作り、少年を呼んだ。少年はすぐに食べたいが、腹痛と言ってあるために、すぐには「食べる。」と言えない。母はそのことを知ってか知らずか、一人で食べ始めた。少し間を置いて、少年が台所に行くと、机の上に味気ないおかゆが置いてあった。その少年の顔を見て母は笑った。

【2】二〇〇三年度一学期三年生(二二名)の授業で「枕草子」を扱った。
(第一時〜第六時)
「春はあけほの」「中納言参りたまひて」を訳す。「すさまじきもの」の前半だけを訳し、後半部分は現代語訳を紹介する。
(第七時〜第九時)
 「枕草子」の類聚段から生徒が興味を持てそうな章段を三二段紹介する。この時、現代語訳だけを印刷した。
 古文を通して、現代の私たちの生活、価値観を考えるために清少納言になったつもりで随筆を書いてみようと提案。生徒たちに「私の“をかし”“あはれなり”コレクション」、「僕と私のコレクション」を書いてもらった。
・・・・・・(以下、本誌をご覧ください)