2005.3 March
特集 検証、評価改善の成果と課題
【基調論文】  求められる真の評価
  〜国語科における評価の検証
尾木和英
一 現状に対する疑問

 本稿の書き出しに当たってまず頭に浮かんだ内容がある。文脈の関係で、適当な部分の引用が難しいため要約の形になるのだが、それはB・S・ブルーム(稲葉宏雄・大西匡哉監訳)『すべての子どもにたしかな学力を』(明治図書、一九八六年)の中にある次のような内容である。
 評価法が公平で正しく、教えられることとの間に明らかな関係のある妥当な評価法が使用される場合、生徒と教師ははっきりとした目的意識をもって学習過程にはいることができ、学習された内容の評価は関心と心配とをもって見守られるというのである。(二七七ページ)
 これに続けて述べられる形成的評価の効果に関しては、学習過程において形成的評価をしばしば使用することは生徒の学習の速度を調節するのに効果的であり、単元や作業の後に形成的評価を位置づけることは、適切な時期に必要な努力をするための動機づけに役立つとされている。こうした記述に一貫するのは、学習者に働きかけるという視点からの評価の意味の追求である。
 もう一つ、次に引用するのは、『中学校学習指導要領(平成一〇年一二月)解説 総則編』の「指導の評価と改善」に関する解説文である。
 「学習指導における評価においては、指導の成果だけではなく、指導の過程における生徒の学習に対する努力や意欲などを評価し、生徒の学習意欲の向上に生かすようにすることが大切である。」「また、評価については、指導の改善に生かすという視点を一層重視することが大切であり、評価を通じて、教師が指導の過程や方法について反省し、より効果的な指導が行えるよう指導の在り方について工夫改善を図っていくことが必要である。」(一〇五ページ)
 こうした内容がまず頭に浮かんだというのには、理由がある。
 ここ数年、学習評価を主題とするいくつかの国語科の研究会に参加する機会があった。そこでは共通して評価規準・評価基準の設定、観点別学習状況の評価を評定に総括するための方法に強い関心が向けられた。学習者に働きかける評価や指導改善に生かす評価の工夫についての協議は見られなかった。理由とするのはそのことなのである。
 学習評価の客観性・信頼性を重視し、評価基準の検討、評定への総括の仕方に努力を傾けることは大切なことである。だが現状は、そのことにやや意識が傾き過ぎているのではないか。客観性・信頼性の確保とともに考えなくてはならない、指導改善に機能し、学習者に働きかけるという意味での効果的な評価の工夫が、おろそかになっていはしないか。それがその時の疑問であった。

二 学習者に働きかける評価

 東洋『子どもの能力と教育評価第二版』(東京大学出版会、二〇〇一年)は、我々が学習評価を考える上で重要な示唆を与えてくれる。その中に次の部分がある。「教育評価の究極の役割は、子どもたちが、自分が行為すること、ひいては自分が存在することが意味があることなのだと認識するのを助けることだと思います。」(八ぺ-ジ)
 この考えに基づき、子どもに働きかける評価、教師の指導改善のための評価はどうなくてはならないかを述べ、真の評価はどうあるべきかを読者に語りかけるのである。
 これから説明的な文章を教材として読みの学習を展開するとしよう。まず考えるべきは、この指導において、生徒にどのような読みの力をつけようとしているのか、ねらいを焦点化することである。
 学習指導は、そのねらいを目指しての教師の意図的な働きかけの過程である。学習者にとっては、その働きかけによる変容の過程になる。とすればまず指導の開始に当たって、①生徒にどのような読みの力があり、②説明的文章の読みに関する学習経験があり、③読みの学習に対する関心・意欲はどのようであるかを把握する診断的な評価を考えなくてはならないだろう。次いで、指導の過程では、生徒が読みの力、読みへの意欲についてどのような変容を見せているか、形成的な評価が工夫され、その結果のフィードバックがなされるべきであろう。学習者の主体的な学習活動の効率化への働きかけが必要になる。
 さらに、学習後には総括的な評価としてのテストが行われることが多いが、これも指導計画を貫くねらいへの到達度という観点から出題されることになるはずである。
 この点での検討が不十分なのではないかというのが私の指摘である。

・・・・・・(以下、本誌をご覧ください)