2005.4 April
特集 生徒を動かす学習指導〜新しいことばの学び
【問題提起】  新しいことばの学びを求めて 高木展郎
一 「読解カ」の低下という状況の捉え

 2004年12月7日に公表された「0ECD生徒の学習到達度調査(PISA2003)」(義務教育修了段階の十五歳児を対象とする調査。以下PISA2003調査)は、知識や技能を、実生活の様々な場面で直面する課題にどの程度活用できるかを評価することを目的として行われた。この調査は、2000年にも読解力中心に行われ、今回は二回目である。今回は、数学的リテラシーを中心に、前回と同様に読解力、科学的リテラシー、さらに問題解決能力についても調査が行われた。
 これらの調査で分かったことは、数学的リテラシー、科学的リテラシー、問題解決能力については1位グループ、読解力については、OECD平均と同程度であり(14位)で、前回2000年調査の2位グループ(8位)であったことよりも、有意に低下していることが分かっている。
 この調査結果から、読解力の低下が問題にされるようになった。文部科学省では、「読解力向上プログラム」の策定を平成17年夏頃までに行うことを当面の対応としている。また、各学校・各教育委員会では、読解力の向上を図るため、「朝の読書」などの読書活動を推進することを今後の取り組みにする方向性が示されている。
 さらに、日本の教育について、学力の低下ということから、欧米諸国の学校教育を日本に取り入れようとする考え方も多く聞かれるようになっている。例えば、アメリカ合衆国の教科書は厚く、日本の学校教育は教科書が薄いから学力低下をきたした、ということを述べる評論家もいる。あるテレビ番組で、日本の小学校六年生の理科の教科書とアメリカ合衆国の理科の教科書とを比べ、日本もアメリカのような厚い教科書にすべきだとの意見が述べられていた。しかし、PISA2003調査の科学的リテラシーの順位は、日本は548点の第2位であり、アメリカ合衆国は、491点の第22位である。日本の教育の良さも見直したい。
 平成10年度版の学習指導要領の各教科の学習時間が三割削減され、それに代わり総合的な学習の時間が創設されたが、総授業数は980時間となり、平成元年版の学習指導要領の総時数1050時間よりも年間で70時間減ったことになる。このことは、学校週五日制の中で(この学校五日制は、公務員の週休二日制に合わせたもので、学校の機能上なったものではない。)、週あたり二時間の授業時数減ということである。
 このような学力低下は、学習指導要領が変わって、二、三年で急速に出現するものだろうか。教育における効果は、即効性のあるものではない。教育を受けた学年が、年月を重ねる中で、その教育効果が発揮される。それは最低でも十年以上のスパンの中で起こるといえよう。

二 基礎・基本ということの考え方

 基礎学力の低下ということで、基礎・基本ということが学校教育でも問われている。しかし、基礎・基本ということの内容は、それぞれの人にとらえ方の異なりがある。それは、それぞれの人が教育に関して原体験を持っているからでもある。人は、自分の原体験を通して教育について語ることが多い。
 教育は、知識の伝達や技能の習熟に関しては、それまでの内容の継承と伝達ということを多く含んでいる。したがって、保守的な行為でもある。それゆえ、それぞれの人が原体験を語っても、今日の教育に通じることも多くある。しかし、これからの時代を拓くための教育は、原体験のみにとどまっていたのでは、教育の進歩や進展はないし、時代にあった教育を行うことほできない。
 これまでも日本の教育は、その時代時代の要請によつて行われてきた。それは、人間の陶冶という教育の本質のみを追究することだけではなく、時代が求める人間の育成ということが問われているからでもある。例えば、戦後、試案として出された昭和22年版の学習指導要領を初めとして、今日まで7回出された学習指導要領には、その時代に求められる学力観が反映されている。
 今日、メディア等でも多く取り上げられている基礎・基本ということの考え方は、それぞれの人の原体験による定義化の中で語られることが多くある。繰り返しになるが、そこで語られる基礎・基本は、原体験としてのものが多く、これからの時代に必要な基礎・基本として語られることはあまり多くない。
 基礎・基本ということは、原体験の中では「読・書・算」ということが定着している。学校教育においても、これを基礎・基本と考えることがある。家庭教育においては学校教育以上に「読・書・算」を基礎・基本ととらえる傾向にある。そのこと自体は、全ての学びに機能する要素ではある。しかし、「読・書・算」のみが基礎・基本ということはいえない。
 教育は、次の時代の担い手を育成することが大きな目的である。それは、時代の中でどのような学力が次の時代に必要か、ということをも見通した中で、学力ということを考えなくてはならないということになる。

・・・・・・(以下、本誌をご覧ください)