2005.8 August
特集 教師の指導力とは何か
【論文】  国語教育自由自在 中洌正堯
一 「自由自在」であるために

 国語教育を自由自在に展開しようとおもえば、いくつかの条件をクリアしておかなくてはならない。タイトルとは矛盾するようだが、「自由自在」はその条件を越えた向こう側でのことである。
 学校教育は、通常は教科書の教材を使っておこなわれるが、自由自在であろうとすれば、教科書以外のものも取り入れる、あるいは教科書以外のものと置き換える発想がいる。その取り入れや置き換えをゆるす条件とは何か。それは、次のようなことである。
1 その教師が学校教育の教育課程の中での国語科の位置を説明できること
2 その教師が当該学校の国語科の内容を説明できること
3 その教師が学年における国語科の中での「単元」の位置を説明できること
4 その教師が単元の中での「教材」の位置(系統性など)を説明できること
 これらの上に、
5 取り入れや置き換えをする教材が、日常の言語から意識化された論理の言語、文学の言語による構造体として、教科書教材に匹敵することの説明ができること
 これらの条件(説明責任)を充たすことができ、かつその教師が学びつづけていれば、次のようなことも可能になる。

二 歳時記的方法・風土記的方法によるカリキュラム

 「歳時記」というのは、辞典には、「①一年じゅうの行事とそれにまつわる生活などを書いた本。②俳句の季語を集めて解説し、例句を載せた本。」とある。
 同じく「風土記」は、「奈良時代の末に、国ぐにの地名の由来、地勢・産物・伝説などをしるして朝廷にさし出した記録。〔広義では、地誌や、各方面の情勢を地方別にしるした本をも指す。〕」(山田忠雄他編『新明解国語辞典第六版』三省堂、2005)である。
 「歳時記的方法」「風土記的方法」というのは、「歳時記」「風土記」の言語表現の内容と形式を生かして、学習者各自の発達段階における生活・文化の場を、時空間の座標において意識させ、実感させること、その意識や実感に照射された、聞く・話す・読む・書く活動と能力に習熟させたい願いから名づけたものである。
 「歳時記的方法」「風土記的方法」によるカリキュラムとなると、季節配列型が考えられる。かつて本誌に掲載された金沢の森田百合子氏の「季節の言葉と出会う−短文のすすめ−」(1986・21)などは、中学校での書くこと・作文教育の典型的な季節配列型カリキュラムであった。
 いま、項目のみを引いてみる。
1 桜咲くころ
2 青葉若葉の色どり
3 雨も楽し
4 氷室の日
5 太陽 お日様今日は
6 夜の秋見つけた
7 僕のお月見 私のお月見
8 梢の秋 紅葉 草もみじを見つける
9 植物(花)動物(鳥・虫)に寄せて
10 好きな食べ物 嫌いな食べ物(味覚の表現)
11 雪を待つ
12 光の春 見つけた春
13 五節句 折り折りの季節感(発展)
 このカリキュラムから、「1 桜咲くころ」「7 僕のお月見 私のお月見」「11 雪を待つ」の雪月花を取り立てて、読むことの教育とからめることも可能である。四の「文学の合わせ読み」で例示する。

三 文学を読む教科内容の見取り図

 文学で「歳時記」「風土記」の表題を採用したのは阿刀田高であり、『鈍色の歳時記』(文藝春秋、1999)、『ものがたり風土記』(集英社、2000)がそれである。
 かつて大学院の授業で、『鈍色の歳時記』から「鉦叩き」という作品を取り上げ、一読した後、こういう作品を読み味わうために必要な言語能力について思いつくまま記述してもらったことがある。
 『鈍色の歳時記』の一連の作品は、教育内容としては、中・高校生向きとは思われないが、将来の読書生活においては対象になり得る。そのことを考えると、私たち教師は、文学の授業において、生徒が中・高等学校時代に身につけておくべき教科内容を見定めておくことが大切である。

・・・・・・(以下、本誌をご覧ください)