2006.09 September
特集 声の復権による活性化
【特別寄稿】  聴き手に伝わる読みを目指して 高梨敬一郎

はじめに

 私はこの小論を通して、声に出して読むこと、とりわけ「聴き手に伝わる読み」の重要性を読者に訴えたいと思います。それは、今の学校現場での先生方の読みの指導が、「聴き手に伝える読み」に力が注がれ、「聴き手に伝わる読み」があまり意識されていないところに問題があると思っているからです。
 国語教育とのおつきあいは、平成二年に始まった当時の文部省の「重点領域研究・日本語音声」の「音読・朗読部会」のお手伝いをしたことがきっかけでした。部会長の大阪教育大学教授(現名誉教授)中西一弘先生が附属平野小学校の校長を兼ねておられ、「NHKアナウンサーとして培ったノウハウを生かして小学生に教えてほしい」と、二年生の音読の授業を頼まれたのが始まりです。
 それから今日まで、数多くの授業をし、授業を見学させてもらいました。また先生方の研修の講師も、小中高校を問わず、年間百回を超えたこともありました。そんな経験を重ねるうちに、学校現場での読みに対する考え方と、NHKアナウンサーが築き上げてきた読みとの間に大きな違いがあることに気づくようになりました。それは、「誰のために、何のために読むのか」という基本中の基本の問題であったのです。
 NHKアナウンサーもこの四〇年あまり、様々な曲折がありましたが、一貫していたことは、「意味内容が視聴者にしっかり伝わるにはどの様に伝えたらいいか」ということでした。つまり「伝わる読み」を模索し続けているのです。
 一方、学校現場では、「大きな声を出せ」「一音一音はっきり発音しろ」「感情を込めろ」などなど、抽象的な言葉を駆使して読みの授業が展開されていると、私は感じています。旧態依然たる方法で読みの指導が行われ、新しい工夫がほとんど感じられないのです。
 何とか「聴き手に伝わる読み」を先生方に意識してほしいのです。そして声に出して読むことが、楽しいものだということを子供たちに認識させてほしいのです。

「範読」になっているか

 先生方とおつきあいを始めてまず驚いたことは、彼ら独特の言葉の多さでした。私は学校で初めて聞く言葉を辞書で調べるクセが先生方によってつけられました。「シシャ」「コウケイ」「キカンジュンシ」…まだまだたくさんあります。「視写」「口形」「机間巡視」と書くそうです。いずれも辞書にありませんし、今この原稿を打っているパソコンでも一回では打つことが出来ません。「書き写す」「口の形」「子供の近くに行く」ではいけないのでしょうか。
 このような抽象化が、先生方をいろいろな意味でしばりつけてきたのではないかと心配しています。教育は具体的なものですから、もっと誰にでも分かる言葉で語ってほしいものです。
 さらに驚いた言葉は「範読」です。これも一部の辞書にしかありません。先生が読みの模範を示すことのようです。「先生が範読をしますから、よく聞いてね」という先生の発言を教室で今でもよく聞きます。しかし、今まで聞いたもので模範になるような読みに出会ったことはめったにありません。小学校低学年の教室では、先生が妙な節をつけて極端にゆっくり読みます。高学年や中学校の教室では、「間」もなく、すごいスピードで読んでいます。どの様な読みをしても「子供たちが集中していれば分かるはず」ということが前提になっているとしか思えません。
 しかし先生方を責めることは出来ません。読みの教育を受けたことがないからです。教育系の大学で、近年ようやく読みに関心を持ち出している所はありますが、ほんのわずかです。読みについてのしっかりした指導法の開発を急がなければなりません。そして現に教壇に立っている先生方に読みについて考え直してほしいのです。

読みの常識を変えよう

 最近、朗読について本を出版しました。先生方をはじめ多くの人たちが読みについて無関心な現状にいらだっている私は、この本に「これが本当の朗読だ」という過激な題を付けました。ご批判を受けるのは覚悟の上です。その序章は「読みの常識を変えよう」です。先生方が長い間信じて、継承してきた音読の指導法に疑問を感じたからです。
 私は、小学校で授業をする前に担任の先生が読みがうまいと思っている子供を二〜三人あらかじめ教えてもらいます。その子供たちに読んでもらうと、どの学校でも同じような読みをするのです。声を張り上げて、一音一音はっきり発音するのです。どこか無理をして読んでいるのです。そのように読んだ子供に私は必ずインタビューをします。子供の答えは日常会話と同じです。「今答えてくれたその声で読んでごらん」と促しますと、ごく自然に読むのです。「どちらが楽?」とききますと、「後の方」と必ず答えます。先生の指導の結果の読みは作り声なのです。教室で読むのはせいぜい二〜三分ですから、作り声でも何とか読めますが、続けて五分も読むと声がかれてくるのです。このような読みがどの学校の先生もよしとしているのですから、問題は根深いと私は思っています。

・・・・・・(以下、本誌をご覧ください)