2006.11 November
特集 読書への誘い
【基調提案】  いまなぜ読書指導か ―言語文化の継承・発展という視点から 西辻正副

一 読書の意義

 本年二月に公表された、中央教育審議会初等中等教育分科会教育課程部会(以下、「教育課程部会」という。)「審議経過報告」に、次のような読書について述べた一節がある。
 国語教育は、我が国の文学や言語文化を継承・発展させるという大きな使命がある。文学や言語文化に親しみ、創造したり演じたりするのに必要とされる、読書、鑑賞、詩歌や俳句なども含めた創作や書写などの言語活動ができることが重要である。(傍線は筆者。以下同じ。)
 ここでは、我が国の言語文化の継承・発展という視点から、読書を取り上げている。このことは、平成一七年に公布された「文字・活字文化振興法」第一条の、
 文字・活字文化が、人類が長い歴史の中で蓄積してきた知識の継承及び向上、豊かな人間性の涵養並びに健全な民主主義の発達に欠くことができないものであること(後略)。
と軌を一にしている。読書とは、文字どおり活字その他の文字を用いて表現されたものを読むという精神的な活動であり、それは、「知識の継承及び向上」、「豊かな人間性の涵養」に資するものなのである。
 この点に関しては、平成一四年の中央教育審議会答申「新しい時代における教養教育の在り方について」においても
 若い時期に、和漢洋の古典を始め、優れた書物に向き合うことの大切さを強調したい。読書は、考える力を育てるのみならず、様々な価値観に関する理解を促し、多元的な視野を与える。
と述べられている。
 ということは、読書指導も、我が国の言語文化の継承・発展という視点から、まず考える必要がある。それが基盤にあって、「文字・活字文化振興法」にある「健全な民主主義の発展」はもちろんのこと、平成一三年に公布された「子どもの読書活動の推進に関する法律」第二条の
 子どもの読書活動は、子どもが言葉を学び、感性を磨き、表現力を高め、創造力を豊かなものにし、人生をより深く生きる力を身に付けていく上で欠くことができないものであること(後略)。
や、平成一六年の文化審議会答申「これからの時代に求められる国語力について」の
 読書は、人類が獲得した文化である。読書により我々は、楽しく、知識が付き、ものを考えることができる。(中略)読書習慣を身に付けることは、国語力を向上させるばかりでなく、一生の財産として生きる力ともなり、楽しみの基ともなるものである。
にみられる、思考力や創造力、表現力、理解力、語彙力などを向上させることにもつながっていくと考えるからである。

二 読書に親しむ態度の育成

 筆者はかつて読書指導の在り方について次のように述べたことがある。
 いつの時代でも読書について「主体的」「自主的」ということを言挙げしなくてはならないように、ともすれば、その手ほどきは押し付けになりやすく、子どもの読書は受け身に陥りやすい。「馬を水飲み場に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない。」という諺があるように、子どもに本を読ませるためには、子ども自身に「読んでみたい」と思わせる指導や環境づくりが大切である。心踊るような感動の体験は、決して「がんばって本を読みなさい」というような、「克己」「努力」の指導では得ることはできない。(拙稿「『読書への道』をひらく」 「日本語学」平成一七年四月臨時増刊号)
 筆者は、中学校・高等学校の六年間、毎日片道二時間を超える道のりを通っていた。この長い通学時間の大半を読書に費やし、今から思えば、驚くほどの量の本を読んでいた。それが、国語を仕事の対象とすることに私を誘ったのかもしれない。
 振り返ると、筆者が主体的に読書に親しむことができたのは、小学校での適切な読書指導があったからではないかと思う。もともと読書は嫌いではなかったが、小学校五年生の時の担任の先生が、文学作品のみならず様々な本を折に触れて紹介してくれ、それを読み、活用する時間まで確保してくれたことで、一層読書を親しいものと感じるようになったのである。読書という言語活動を意識化することができるようになった小学校高学年において、親切でしっかりとした手ほどきを受けることができたことが幸いしたのであろう。
 筆者は、『礼記』の「記問(筆者注 「記聞」に同じ)の学はもって人の師となるに足らず。」「道きて牽かず、強ひて抑へず、開きて達せず。」「道きて牽かざれば則ち和らぎ、強ひて抑へざれば則ち易く、開きて達せざれば則ち思ふ。」(学記篇)という言葉をよく引用する。この言葉は、二〇〇〇年という悠久の時の流れを超えて、教育という営みに携わる筆者にその姿勢を問いかけていると思うからだ。この言葉には高校時代に出会ったのだが、その時、自分が受けた読書指導は、まさにこの言葉のとおりだったと思ったことを鮮明に憶えている。
 ここで古典を引用したが、古典を読むということは、先人のものの見方・感じ方・考え方の基盤を知ることであり、同時に感情や思考の様々な表現方法を理解していくことでもある。このことは、自分の生き方を見つめるとともに、進むべき方向を模索することにもなる。ところで、「古典を読む」というと、古典の原文を読むことのみを指すように思われがちであるが、決してそうではなく、広く古典にかかわるものを読むということだと筆者はとらえている。
 私たちは「今」を生きているが、その思考や行動は、先人の生き方やものの見方、考え方に拠るところが少なくない。そのように考えると、適切な時期に、適切な方法で読書指導を行うことの大切さが分かる。

・・・・・・(以下、本誌をご覧ください)