2007.08 August
特集 国語教師のセンスを磨く
【基調論文】  生徒の言語に敏感になること 京都女子大学教授
吉永幸司

一 生徒の表現を生命の発露と捉えること

「国語教師のセンス」と問われ、先ず心に浮かんだのは、今から40年近く前、新任の中学校教師をしていた時のことである。

長い年月を経ているので封印をしておいてもよいのだが、教師としての私の原点なので、少しふれてみたい。

その時代は、50人近い生徒の学級5クラスの国語科を担当した。新任生活に慣れ、少し生意気になった6月に、作文単元を指導することになった。先輩の助言もあり「原稿用紙5枚以上を書く」という簡単な指示の宿題を出した。

提出の順に読んでいたものの、250人近くの作文を読むことは時間的にも無理であった。そこで夏休みに読むつもりで預かったままロッカーにしまい込んでいた。

数日後、照子(仮名)が職員室へ来て、

「先生、作文を読んでくれましたか。」

と、作文の感想を求めた。正直に読んでいないと言えなくて曖昧に、

「よく書けていた。」

という意味の感想を伝えた。照子はそれ以上深く聞こうとはしなかったが、納得がいかないという表情で職員室を出て行った。照子の後ろ姿が気になったので、ロッカーから作文を出して読み、大変なことと思い慌てた。

照子の作文は弟のことであった。体が不自由な弟を施設へ預けるかどうか、家族で何回も話し合ったこと、作文提出の前日が、施設へ弟を預ける日で、しばらくは会えなくなること等、家族の葛藤を書いたものだった。照子にとって、作文は生命を刻んで書いたものであった。その作文を読まないままロッカーにしまい込んでいたのである。照子に限らず、一人ひとりの作文も生命の発露であろうという考えがなかったのである。

作文を読みながら、読んだように見せかけていた自分の愚かさに腹を立て悔いるとともに、彼女に大きな借りを作ったと思った。その後、それなりの対応や配慮をして納得を得たものの、教師としての自分の傷みは消えることはなかった。

この出来事を、教育を考える原点と捉えたのは、次のような理由からである。

1 生徒に対する教師の言葉は誠実であること。いい加減な言葉でごまかさないこと。

2 生徒が書いた作文は、生徒が生命を削って表現したものと捉え丁寧に読むこと。

3 生徒との関わりでは成功体験より失敗体験の方が多い。その体験を指導力向上に生かすこと。

二 生徒の言語に敏感になること

生徒の言葉に敏感になるということは理屈では理解できるが、具体的には難しい。照子との関わりで得たものについては次のようにまとめることができる。

1 教師の言葉は誠実であること

生徒の言葉に敏感になるには、生徒の言ったこと、考えたことを丁寧に受け止めることが大事である。換言すれば、生徒に対する発問や指示を含めて教師の言葉が生徒に響いているかどうかに敏感になることである。教師の発する言葉は、そのまま学習意欲や内容の理解に及ぼす範囲が大きいからである。

2 生徒の表現に誠実に対応すること

作文を読まないまま放っておいた反省から、その後作文を丁寧に読むことを続けた。その過程で、表現の奥に生活があることを発見した。

生徒の表現に誠実に対応することは、作文でいえば、文章を通して生徒と対話をすることである。読んでいると、書きたかったこと、書き足らなかった生徒の声が伝わってくる。

3 授業再構成の力量を高めること

「今日は良い授業をした」と思って教室を出ても、生徒からは「よく分からない」と言われた経験は多い。時々だが「良い授業ができなかった」と思ったのに良い授業だったと生徒に評価されたこともある。教師の仕事は成功をしたというより、うまくいかなかったと思うことが多い。

私の場合も照子との出会いがなかったら、書くことについてそれほど真剣になっていたかどうか。授業についていえば、再構成して失敗を生かす力を備えることが国語教師のセンスと関係する。生徒との関わり、授業、指導の関係の中で、負の部分を自覚できること、それをエネルギーにするような姿勢を持ち続けるかどうかである。

例えば、授業で生徒が発言をする。それが授業の流れとは外れているように見える。その場合、いろいろな対応ができる。

「正しく言い直してごらん」

「しっかり聞くから、落ち着いて話してごらん。良い考えを持っているように思うから」

「あなたの言い方は、中途半端な言い方だね」

それぞれの反応からどれがいいか、次はどの対応をするのがいいか見極めるのである。これが再構成である。

三 授業を言語活動量で観る

小学校の国語科授業で次のことが話題になった。「3分間スピーチ」の指導である。

授業の目標は、「3分間スピーチを繰り返し、身近な話題で、スピーチができるような力を身につける」であった。指導時間は5時間という計画で進めたが、それほど力が育ったという手応えを得なかったのである。

目標であるスピーチができるようになるには、毎時間スピーチの経験をさせるという覚悟が必要である。しかし、授業はスピーチの仕方や、原稿づくりに多くの時間をかけ、実際に一人がスピーチをした時間はそれほどなかった。

指導計画や学習形態からみれば、いかにも全員がスピーチを繰り返しているようであるが、一人がスピーチをしたのは、時間にして10分に満たないものであった。5時間の指導で10分という学習では、力が身につかないのは当然であった。

この授業に限らず国語の授業の多くは、教師の話を聞く、理解をするという形でのものが多い。特に「話し合い」を学習活動に取り入れると、数人の生徒の発表で、いかにも全員が発表をしたかのような錯覚に陥る。

「読む」活動でも、目で追って読んだような気持ちになっている生徒は多いはずであるし、聞くについても聞いているような格好をしている生徒は多い。

小学校では、このようなことに気づいて、読んだことが分かるように音読を取り入れるとか、根拠になる文を写す、読み取った内容を書くというように読みを確認するような活動を取り入れている。つまり学習活動量を増やすようにしている授業が多くなっている。聞くにおいても同じである。「聞いている格好」を許さないように、聞いたことをノートに書く、あるいは意見を発表するというように他の活動に置き換えるようにした。

国語の授業は、活発に話し合っているように見えても、発言している子は数人であることは珍しくない。その結果、一人の子の学習活動量は限られている。この実態を克服する必要がある。教師の指示や補説、解説などが授業の多くを占めていないかどうかを点検するだけで授業への意識がかわるはずである。

四 書くことを大事にする

国語のノートを見ると、授業の内容、指導の仕方や充実度を知ることができる。生徒の考え方や読むこと、書くことの力を測ることができる。ノートは国語学習を反映するからである。さらに、「書く」は国語科にとって大事な活動であるので、良いノートになるように指導を積み上げる必要がある。

良いノートを作らせるには、「良いノートにしなさい」と指示をするだけでできるものではない。ノート指導には、何を書くか、どのようにまとめるかという手順がある。

手順の概要は次のとおりである。

1 板書を写す

国語科授業の板書は、文章の構成を明らかにしたり、重要語句を示したりするなど、教師の教材研究の成果が表れる。授業の進行とともに、黒板に書いていくのであるが、これをノートに写させるのである。黒板を写すことは、構造的に文章を読んだり考えをまとめる力が付くからである。

2 言葉を選んで自分のノートを作る

板書を写すことから、板書を参考にし、自分でまとまりを考えてノートを作らせるように指導をする。生徒は、ノートにまとめるという目的で、板書に取り上げた言葉を生かしたり省いたりしてまとめるのである。

3 自分の考えが残るノート

発展の段階では、自分の読み取りや考えを残させるようにして自学の支えにするノートを作るように指導をする。

① 大事な文を写す。

② 語や文の関係を考えてノートにまとめる。

③ 感想を書く。

④ 授業で疑問に思ったこと等を書く。

というように、学習内容やテーマを決めて書かせる。書きながら考えを深める過程で、読むこと、書くことへの関心を持つ。

なお、書くことを繰り返す過程で生徒が成長をしているかどうかを評価する目安は、教師が板書を終える段階で書き終えるということを基準にするとよい。また、自分の考えを書き加えているかどうかも目安である。



・・・・・・(以下、本誌をご覧ください)