2007.09 September
特集 意欲喚起に着目する古文入門
【特別寄稿】  古典の魅力ということ 東京大学教授
三角洋一

締切りが近くなって、私はまだ迷っている。日本の古典の魅力について論じるといっても、「なぜ古文を学ぶ必要があるのか」という実利的な調子で訴えるか、「古典は私たちに共通の知的基盤となっていて、いつの時代にも変わらぬ人間の心模様や、逆に、現代とは異なる時代社会を精一杯生きた人生の軌跡を伝えている」と大上段に振りかぶるか、たとえば『源氏物語』の魅力を数え挙げてみるか、あるいは時評風に、現代文と古文・漢文の区分の是非を含めて理想の教科書への夢を語ったらよいのか、方針が定まらないのである。

仕方がない、私の古典文学の読書体験を告白する方向で書き進めることにする。確実にいえることは、まず古典との出会いがあって、そこで初めて感動したり、関心が芽生えたりするということである。以下はいわば三題咄で、キーワードは「出会いと気づき」ということになりそうな気がする。


新古今歌人の藤原定家(1162〜1241)に『松浦宮物語』という作品がある。現在では樋口芳麻呂・久保木哲夫校注訳『松浦宮物語・無名草子』(新編日本古典文学全集、小学館)によって容易に読むことができるが、私が大学院に進学した昭和45年にはまだ注釈もなく、古書店で本文と解説だけの岩波文庫本(昭和10年)を見つけて手に入れ、さっそく一読して深く感動した。

物語は時代を藤原京のころ(694〜710)に設定したうえ、主人公の弁の少将、橘氏忠が遣唐副使として唐に渡って琴の秘曲を学び、内乱に巻き込まれたものの住吉明神の加護で大活躍し、妖艶な恋も経験するという内容である。ここでは、読みやすいように手入れをしたかたちで、少し本文を引用してみよう。

むかし、藤原の宮の御時…橘冬明と聞こゆる、明日香の皇女の御腹に、ただ一人持たまへる男君、かたち人にすぐれ、心魂世にたぐひなく生ひ出でたまふを…

(巻一)

后、重ねてのたまふ。「かの大将軍宇文会、人のかたちにして虎の心あり。向かふところの力、山を抜き、射つる矢、石を通す…速やかに過ぎつる山に帰り入りて、かれが軍の行き過ぎんうしろを襲ひて、前うしろに声を合はせて、心よく戦ひて、同じ塵灰ともならんばかりぞ、いま一つの謀なるべき…」

(巻二)

夕べの空にながめわびて、なにとなくあくがれ出でぬ。いたく高きにはあらぬ山がかれる里の梅の匂ひ…松風はるかに聞こえて、山の端出づる月の光…さえゆく夜のさまに、物のあはれまさりて…我が国に篳篥とかや…所からは似るものなく聞こゆ。この国には簫とぞ言ふ。「むべこそ昔の女皇女の、これを吹きて仙に昇りたまひにけれ」と、あはれに涙とどめがたし。先帝の御忌みとて、糸竹声をやめたるころほひ、山里なればにや。いかなる人の住みかならむと見れば…

(巻二)

というぐあいである。

定家はどうしてわざわざ500年もさかのぼった『万葉集』のころに時代を据えたのか、なぜ行ったこともない唐土を舞台に選んだのか、軍事や政事といった題材ははたして物語になじむものなのか、音楽に高い価値がおかれるのは分かるが、妖艶な恋というものは中国を舞台としなければ描けないものかなどなど、次から次へと興味と関心が湧いてきて、どうしても丁寧な読み取りをしたくなって、大学ノートの右頁に本文を縦書きに筆写して段落分けし、左頁(上段)に古語辞典や『日本古典文学大系索引』で調べたことを書き込んでいき、注釈のまねごとを試みてみることにした。

儒教の経典や歴史書また漢詩文のことを何も知らないのに、よく思い立ったと今ではあきれるのであるが、幸い3年後に萩谷朴校注訳『松浦宮物語』(角川文庫、現在絶版)が出たので、教壇に立つや、講読のテキストに採用して勉強をつづけた。

私のいだいた疑問は、定家が『源氏物語』の影響を一切排除しようとしたこと、男性物語作者の有利さを活用しようとしたこと、源平騒乱の時代(1179〜85)を生きて、それなりに時代に向き合おうとしたこととして、ひととおり説明できそうに思ったが、底が浅いといわれるかもしれない。作者への関心と唐土が舞台であることへの疑問が、私の心をとらえて離さなかったのである。


私は日記文学と物語文学を専攻しており、王朝の女性たちの感性や関心事をそっくりつかまえたいと念願していた。その点では変幻な話題の展開される『枕草子』が役立ったが、座談形式で進行する、この世でかけがえないもの、宝物について議論が繰広げられる『無名草子』『宝物集』もおもしろく、女性向けの『三宝絵』『閑居友』も参考になった。

『無名草子』には、『源氏物語』の評論に入る前段階として、「この世にとりて、第一に捨てがたき節」を次々に挙げて論じていく場面がある。月、文、夢、涙、阿弥陀仏、『法華経』と移っていくのであるが、ここでは月について議論した部分を取上げてみよう。

「花、紅葉をもてあそび、月、雪にたはぶるるにつけても、この世は捨てがたきものなり…それにとりて、夕月夜ほのかなるより、有明の心ぼそき、折もきらはず、所も分かぬものは、月の光ばかりこそはべらめ。春夏も、まして秋冬など、月あかき夜は、そぞろに心なき心もすみ、情けなき姿も忘られて、知らぬ昔、今、行く先も、まだ見ぬ高麗、唐土も、残る所なく、はるかに思ひやらるることは、ただこの月に向かひてのみこそあれ…」といふ人あり。

また、「…同じ心なる友なくて、ただ独りながむるは、いみじき月の光もいとすさまじく、見るにつけても恋しきこと多かるこそ、いとわびしけれ」。

四季折々の風物に心慰められる、その代表は花、紅葉、月、雪である、その中でも無季といえば言い過ぎになるが、どの季節でもどこで見ても興がある、初旬の夕月夜や下旬の有明月の風情は素晴らしい、とりわけ中旬の「月あかき夜」には過去、現在、未来また高麗、唐土まで思いやられる、と絶讃する女性もいれば、独りで月を見ると、友といっしょに見ていないことやいろいろ恋しい思いがつのることから、「すさまじく」感じたり「わびし」く思ったりすることもあると、月に催すやるせない感情をもてあます女性もいる。

ここに挙げられたさまざまなケースを思い描いてみると、「夕月夜」「夏月」「月下見花」「月前懐古」「月照唐土」「寄月述懐」など、まず歌題を思い浮かべるのではなかろうか。すると次には、では『古今和歌集』をはじめとする三代集の月を詠んだ歌は、『和漢朗詠集』秋・十五夜付月の詩歌は、どうなっているのだろうか、調べてみたくなる。

じつは、中略にした箇所には、月にまつわる中国の故事も二つ載せられていて、

されば、王子猷は戴安道を尋ね、簫史が妻の、月に心を澄まして雲に入りけんも、ことわりとぞおぼえはべる。

とある。

王子猷は王羲之の子の風流人で、ふと親友のことを思い出して、「子猷は月の夜、雪の空にあくがれて、はるかに 県の安道を尋ね」(『十訓抄』第五)ながら門前から引き返し、人に問われて、「月面白ければ月に乗りてあくがれ出でぬ。月入りぬれば、吾また帰らざらめや」(『唐物語』第一話)と答えたという。

「簫史が妻」の話は、先に引いた『松浦宮物語』にも「女皇女の…仙に昇」ったとある故事のことでもあって、「秦の穆公の娘弄玉は、たぐひなく簫を愛し」(『十訓抄』第十)て音楽家簫史の妻となり、世間の批判も意に介さず、「ただもろともに台の上にて簫を吹き、月をのみながめ」(『唐物語』第十一話)て過ごすと、やがて鳳凰が聞きに来るようになり、のち二人は鳳凰に乗ってどこかに行ってしまったという。

どちらももともとは『蒙求』によってよく知られた逸話で、「子猷尋戴」の出典は『晋書』列伝ないし『世説新語』任誕篇で、「簫史鳳台」のそれは『列仙伝』である。

日本の故事となると、フィクションになってしまうが、八月十五夜に月世界に戻って行った『竹取物語』のかぐや姫、『源氏物語』花宴の巻の源氏が朧月夜の君に出会った挿話、須磨の巻の「今宵は十五夜なりけり」と、須磨にわび住まいする源氏が往年の月の宴と兄朱雀帝をしのぶ場面が思い浮かぶ。また、『更級日記』の時雨の夜の春秋優劣論における四季の月をめでる描写も忘れられない。

ここでは自然を対象として、私の関心から、「月と文学」というように問題を設定してみた。月をながめた故人の心を思いやってみることは、心躍ることといえないだろうか。



・・・・・・(以下、本誌をご覧ください)