学生の間違いが指導法開発のきっかけに
私は日本人に国語を教える教師ではなく、外国人に日本語を教える教師で、その仕事を一九七五年から行っている。当時は今と異なり、「外国人に対する日本語教育」は、かなり特殊な分野で、関連する指導書も見当たらない中で、手探りで教授法を作ってきた世代だ。学生も今日とは全く異なり、欧米人が中心で、アジアの学生、いわんや、中国の学生などは国費留学生以外いなかった。
私達が利用した最初の日本語の教科書は、アメリカで書かれた『ビギニング・ジャパニーズ』(E・H・ジョーデン)というもので、説明は全て英語だった。そのため、時々翻訳が故の問題も発生した。
ある時、箱根に行った学生が、翌日、お土産を持ってきて、A先生に「先生、これを召し上がって下さい」と言い、B先生に「先生、これを食べて下さい」と言ってそれぞれにお土産を渡したことがあった。びっくりして、彼を呼び、「先生には『召し上がって下さい』って言わなきゃ」と注意した。彼は「え、でも、僕はA先生を尊敬しているけれども、B先生は、あまり、…」と言う。確かに教科書には、respectable expression(尊敬表現)と書いてあって彼の言うことも一理ある。
ただ、これではいけない、と思い、その後、敬語を使う場面を、@「うち/よそ」の表現の場合、A先生や上司を対象とした固定化した人間関係で使う場合、Bそして「接客」の場面の場合に分けて教えるようにした。
そのうち、「うち/よそ」の場面では、例えば「家」という言葉を教える時に、「(ニュートラル)いえ、(内向き)うち、(外向き)お宅」と三つに分けてこれを一緒に教えるようにした。例えば、「名前」は「氏名」と「お名前」、と三つをセットにしてまとめて教える。「言います」なら、「言います(中立)、申します、おっしゃいます」を一緒に教える。
この方法で教えていくと、フランス語の人称変化と同じように理解するので、「私の名前はピエールです」などと言わず、「ピエールと申します」のような言い方がすらっと口から出てくるようになる。日本の大学生などと交流会をすると、大学生の方が感想文に、「外国人の学生の敬語の使い方の方が自分達より上手なので驚いた」と書いてきたりする。
これは、一つの例に過ぎない。自分がしてきた外国人向け日本語教育は、「日本人として日本語に興味を持つ」という視点ではなく、「日本語をいかに外国人学生に正確に、そして楽しく教えるか」を目標にしてきたものだ。
戦前の日本語教育は文型で
その後、自分なりに戦前のことなども調べていくうちに、戦前の日本語教育関係の資料は、当時、来日していた留学生のためのものまで含め、相当あることがわかった。さらに、『日本語教授法』(日語文化学校・一九三六)、『日本語教授法の原理』(日本語教育振興会・一九四〇)『日本語基本文型』(青年文化協会・一九四二)、『日本語表現文典』(国際文化振興会・一九四四)など、書名だけ見れば今日のものかと見まごうものまで多数ある。
ただ、極論すると文法については非常に手薄になっている。中には「(助詞は)適確な定義はできないから(略)助詞は互いに重ねて用いられ、その重ね方にも法則があるが、そこまでは説けない」(『日本語教育と日本語問題』岡本千万太郎・一九四二)とほとんど「手に負えない」と正直に述べているものもある。文法が未解決なので、結局、文型で教える方法に全体が傾いている。戦後の日本語教育も戦前から少しも進歩しておらず、同じように助詞や文法よりも文型で教えているように見受けられる。
高校生の資料も統一されていない中で
では、実際の現代の高校生にどのように助詞を教えているのかと思い、それを調べるために『国語便覧』にあたってみた。格助詞が十あるというのはどの出版社も大差ないものの、驚いたのは、それ以外の助詞になると、数も含め出版社によって違っていることだった。これでは、
・・・・・・(以下、本誌をご覧ください)
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