2007.12 December
特集 発表力―改善の切り口を探る
【基調提案】  学習者の発表力を育てる ―国語教育における声の復権のために
早稲田大学教育・総合科学学術院教授 町田守弘

一 発表力について考えるために

発表という活動は、授業における最も基本的な学習者の活動である。教師の発問に対して自主的に、もしくは指名を受けて答えるとき、学習者は教室で発表をすることになる。さらに考えたことや調べたことなどを、ある程度まとまった時間をかけてクラスやグループの中で話すことも、発表という活動になる。

発表に関わる「発表力」を「効果的に発表するためのスキル」として把握するとき、そこには二つの要素が含まれる。その一つは発表の内容であり、いま一つは発表の方法ということになる。後者の発表の方法に関してさらに立ち入って考えてみると、発音・発声から発表の順序、発表時間の配分など、いくつかの具体的な要素に分けて考えることができる。

これらの中で特に留意すべき問題は、発表の方法としての発声という点である。発表力について具体的に考えるために、本稿では特に基本的な課題となる発声の問題を中心に、いくつかの観点から効果的な授業創りに向けた提案を試みることにしたい。

二 現代社会の状況と学習者の声の衰退

教室での学習者の声が衰退している。それは一つに、現代の日常生活の中から「話すこと」に関わる場面が減少しているという状況と無縁ではない。自動販売機やコンビニエンスストア、そしてインターネットでのショッピングが普及したことは、小売店の店員と会話する場面を奪うことになった。子どもたちの世代の必需品となった携帯電話は、電話という機能よりも携帯メールという新たなコミュニケーションの在り方を定着させた。さらに携帯電話のゲーム機能をも含めた小型ゲーム機の登場によって、子どもたちに次々と新たな個人的な楽しみの場が提供されつつある。ヘッドホンステレオを聞きながらひたすら携帯電話や小型ゲーム機の画面を眺める若い世代は、声による対話という原初的なコミュニケーションとは無縁な世界に生きているようにも見える。

このような傾向は、コンピュータの普及によってさらに加速した。日々の暮らしの中で、声を通してひとと交流する時間よりも、黙ってディスプレイと向き合う時間の方が主流になってしまった。

さらに注意したい現象として、テレビ番組におけるテロップ(スーパー)の多用という問題がある。ニュース番組を初め、多くの番組におびただしい数のテロップが登場する。人物の談話はことごとくテロップによって文字化されることから、視聴者は人物の話を注意深く聞くことを止めて、単にテロップの文字情報に目を通すだけになる。話を聞くよりもテロップを見る方が、効率よく容易に情報を得ることができる。話した内容とは異なる情報がテロップとして書き加えられたり、番組を作る側の意図で脚色されたりもするという危険性も深刻だが、異常なまでのテロップの普及は、視聴者の「聞くこと」に関わる能力を減退させることになりかねない。

現代社会の中で直接「話すこと・聞くこと」に関わる場面が減少しているという事実は、学習者の声を衰退させる原因の一つになっていると思われる。教室の内外で発せられる彼らの声には、活力が感じられない。「発表力」の育成について考える前提として、まず声の復権のための具体的な方策を検討する必要がある。

三 現代社会の状況から構想する学習指導

現代社会の構造が、子どもたちから声を奪う結果になってしまったことはすでに触れた。だからこそ学校では、「話すこと・聞くこと」の学習指導を充実させて、子どもたちの声の復権を図る必要がある。それはもちろん国語科だけに特化した課題ではない。学校全体で、教職員が協力して取り組むのが理想である。ただし声の復権のために、特に国語科が担うべき要素は多い。

前の節で、子どもたちの声が衰退していることの原因の一つとして、現代の社会的な背景を考えてみた。その特徴を踏まえて、「話すこと・聞くこと」に関わる授業を構想することができるだろう。一例として、教室にいくつかの仮想店舗を作るという授業を工夫することができる。店ごとにグループに分かれた子どもたちを、さらに店員と買い物客とに役割分担する。具体的なショッピングの場面を想定して声をかけ合う。簡単な場面から入って、次第に店員からお客に別の品を勧めたり、客から店員にいろいろと質問したりするような複雑な場面へと移行する。ショッピングが済んだ後で、適切なコミュニケーションが実現できたかどうかを相互に評価する。この実践は、現代社会から失われつつある場面を、国語の授業に復活させたうえで、「話すこと・聞くこと」の言語活動を推進するものである。

テレビ番組のテロップの問題に関しては、あらかじめテロップの付いていない話を録画したものを紹介して、その人物の話を聞いてテロップを書くという授業を構想することができる。スタジオでゲストが討論する場面を収録し、授業ではそれを繰り返して再生する。グループごとに人物を分担して、それぞれの分担した人物の話をテロップのように文字にする。グループ内で付き合わせて検討した後で、それをプリントにまとめて配布する。クラス全体で再度番組を見ながらプリントの記述を参照し、実際の人物の会話と比較してみる。「聞くこと」の活動を「書くこと」と関連させる実践として成立するだろう。

いくら時代の変容を嘆き、学習者を叱責しても、彼らを取り巻くことばの環境が改善されるものではない。発想を転換して、現代社会の状況をむしろ逆手に取った授業の構想を工夫することを積極的に考えてみたい。



・・・・・・(以下、本誌をご覧ください)