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2016年 ※所在地名は発表当時のものです。
発表
年・月
名  称 所在地 時 代 解  説
2016年
1月
秀吉の書状33通 龍野神社
(兵庫県たつの市)
安土・桃山 羽柴(豊臣)秀吉が家臣の脇坂安治(わきざかやすはる)に宛てた朱印状33通が、発見された。「天下人」の書状がまとまって見つかるのは異例。
書状は、本能寺の変後の約10年間分。天下統一や朝鮮出兵において、しつこいほどに細かな指示や叱責を飛ばしていた様子がうかがえる。【兵庫県たつの市立龍野歴史文化資料館・東京大学発表】
2016年
1月
多胡碑(たごひ)周辺で大規模倉庫跡 (群馬県高崎市) 奈良 高崎市にある「上野三碑(こうずけさんぴ)」のひとつ、「多胡碑」周辺で、碑と同時代の大規模な倉庫跡が見つかった。711年に朝廷の命令で多胡郡がつくられたという碑の記述を裏付ける。
東西16.8メートル、南北7.2メートルと規模が大きく、奈良時代最高級の建築様式とされる総瓦ぶきの礎石(そせき)建物。多胡郡設置が国家的事業であったことがうかがえる。【高崎市教育委員会発表】
2015年 ※所在地名は発表当時のものです。
発表
年・月
名  称 所在地 時 代 解  説
2015年
1月
明日香から未知の遺構 小山田遺跡
(奈良県明日香村)
飛鳥 小山田遺跡で、約48メートルにわたって石材を張りつけた巨大な掘割(ほりわり)が見つかった。7世紀中ごろに築かれた未知の古墳の一部とみられる。
墳丘に、結晶片岩と奈良県東部産の榛原石(はいばらいし)を積み上げる特殊な構造をしており、墳丘裾部は一辺50〜80メートル程度の方形だったと推定。蘇我馬子の墓を上回る規模や特殊な構造、立地などから、舒明(じょめい)天皇あるいは蘇我蝦夷(そがのえみし)の墓と推測される。【奈良県立橿原考古学研究所発表】
2015年
2月
『方丈記』の大地震を裏づけ 東山
(京都府・滋賀県)
平安 京都を襲った大地震で起こったとみられる土砂崩れの跡が確認された。1185(元暦2)年に起きた地震で、規模はマグニチュード7.4、琵琶湖西岸の活断層の一部が動いたと推定される。その惨状は『方丈記』や『平家物語』にも描かれており、記述を裏づける珍しい発見となった。この地震で山が荒廃し、荒地に強いアカマツが増えるなど、植生(しょくせい)にも影響したとみられる。【京都大学防災研究所 釜井俊孝教授ら調査】
2015年
3月
藤原定家(さだいえ)・為家(ためいえ)親子の書 (東京都) 鎌倉 鎌倉時代の歌人である藤原定家と、その息子の為家の書が見つかった。父子の直筆が並んだものは珍しい。
書は、縦約30センチメートル、横約2.5メートル、和紙5枚がつないである。定家の父で歌人の俊成(としなり)の90歳の祝いのため、1203年に後鳥羽上皇が催した歌会にあわせて記された。上皇の歌など20首以上が収められている。
2015年
5月
「奈良京」表記した最古の木簡 平城京跡
(奈良県奈良市)
奈良 平城京を意味する「奈良京」と書かれた木簡が、平城宮跡西側で発見された。平城京の造営跡から45点出土した木簡のひとつで、左半分が欠けているものの、「奈良京」の文字が見受けられる。
710年の平城遷都(せんと)当時のものとみられ、762年の正倉院文書とされてきた「奈良京」表記の初出(しょしゅつ)を半世紀さかのぼる。【奈良文化財研究所発表】
2015年
5月
国内最古となる鏡の鋳型(いがた) 須玖(すぐ)タカウタ遺跡
(福岡県春日市)
弥生 国内最古となる弥生時代中期前半(紀元前200年ごろ)の青銅鏡の鋳型が見つかった。国産鏡の登場は紀元前後とされてきたが、150〜200年ほどさかのぼる。
出土したのは、複数のつまみを持つ「多鈕鏡(たちゅうきょう)」の鋳型の破片で、復元すると直径15センチメートルほどになる。多鈕鏡はすべて朝鮮半島製とする定説を覆し、金属器文化の到来とともに鏡の国内生産が始まったことを示す。【春日市教育委員会発表】
2015年
7月
「皇太子」と記された木簡 平城京跡
(奈良県奈良市)
奈良 平城京跡で出土した約4400点の木簡片などの中から、「皇太子」と書いたとみられる木簡片が初めて確認された。「二人皇」と「太子」と書かれた2つの木簡片は、元は同じ木簡で、「二人皇太子」と皇太子付の役人数を書いたものと推測される。同時に出土した木簡の年号から、「皇太子」は聖武天皇が即位する前の「首皇子(おびとのみこ)」を指すとみられる。【奈良文化財研究所報告】
2015年
7月
キトラ天文図は中国の夜空? キトラ古墳
(奈良県明日香村)
飛鳥 文化庁などが共同研究で、キトラ古墳の天文図の観測地・年代を分析した。その結果、古代中国王朝の都である長安や洛陽などで観測した原図を基にした可能性が高いことがわかった。年代については意見が割れたが、古墳造営の数百年前とみられる。【文化庁・奈良文化財研究所など発表】
2015年
8月
銅鐸の使用法判明? 淡路島
(兵庫県南あわじ市)
弥生 淡路島の石材セメント製造会社の砂置き場から見つかった「松帆(まつほ)銅鐸」の調査で、謎の多かった銅鐸使用法の解明に近づいた。
同年4月に見つかった銅鐸は、「入れ子」状態の3組計6個と破損した1個の計7個。砂が詰まった状態の内部をCTスキャンし、音を鳴らすための「舌(ぜつ)」が発見された。さらに砂を除去したところ、舌の先端にひもの一部が通っていることがわかった。また、銅鐸の釣り手にもひもを巻きつけた痕跡があり、何かにつり下げて鳴らしていたとみられる。【兵庫県教育委員会発表】
2015年
11月
かなで「難波津(なにわづ)」の歌全文 平安京跡
(京都府京都市)
平安 『古今和歌集』の有名な「難波津」の歌の全文を記したとみられる木簡が見つかった。2行にわたって墨書され、右側に「難波津」の歌、左側に散文と思われる文章が記されている。
平安時代前期(9世紀後半)に書かれたもので、音を漢字で表した万葉がなではなく、ひらがなに近い文字が使われていた。ひらがなの成立や普及を知るための貴重な資料。【京都市埋蔵文化財研究所発表】
2014年 ※所在地名は発表当時のものです。
発表
年・月
名  称 所在地 時 代 解  説
2014年
1月
吉田松陰の辞世 井伊美術館
(京都府京都市)
江戸 「安政の大獄」で死罪となった、幕末の思想家、吉田松陰の自筆とみられる辞世が発見された。松陰にとって政敵である幕府大老、井伊直弼の側近である長野主膳(しゅぜん)の手紙等を貼り付けた巻物の中から発見された。敵側である主膳が最後まで松陰の動静に関心を寄せていたことを物語る貴重な資料とされる。【井伊美術館発表】
2014年
2月
纏向(まきむく)遺跡建物跡 纏向遺跡
(奈良県桜井市)
弥生〜古墳 纏向遺跡で2009年に発見された3世紀前半の大型建物跡の東側から、新たに建物跡1棟が見つかった。大型建物跡とその西側に見つかっている2棟の建物跡と東西に同一線上に並び、同時期のものと考えられる。纏向遺跡は邪馬台国の有力候補地とされ、大型建物群が邪馬台国の中枢施設であった可能性が指摘されている。【奈良県桜井市教育委員会発表】
2014年
2月
国内初 旧石器時代の貝器(かいき) サキタリ洞(どう)遺跡
(沖縄県南城市)
旧石器 沖縄県のサキタリ洞遺跡で、約2万年前の貝器(貝製道具)が見つかった。旧石器時代の貝器が発見されるのは国内で初めて。人骨も同時に出土し、骨と道具がそろった国内最古の例という。
沖縄は石灰岩地帯が多く、酸性土壌の本土ではほとんど見つからない旧石器時代の骨が多数発見されているが、これまでは道具が見つかっていなかった。サキタリ洞遺跡は「港川人(みなとがわじん)」が発見された港川フィッシャー遺跡から約1.5キロメートルと近く、日本人の起源を探る手がかりとなることが期待される。【沖縄県立博物館・美術館発表】
2014年
3月
讃岐国府の場所が特定 (香川県坂出市) 奈良〜平安 香川県埋蔵文化財センターの発掘調査から、古代の讃岐国府の場所がほぼ確定された。
所在地については明治時代から論争が続いており、センターは「讃岐国府跡探索事業」と題して2009年から調査を続けていた。調査から、瓦ぶきの塀や四角い大型の柱穴(ちゅうけつ)を持つ建物跡が見つかっており、役所で使われたと思われる硯(すずり)などが過去に出土していたことから、国府跡だと推定された。国府は、8〜10世紀にかけて、同じ場所に存続していたとみられる。【香川県埋蔵文化財センター発表】
2014年
3月
埼玉(さきたま)古墳群に粘土の塊、三重目の堀 埼玉古墳群
(埼玉県行田市)
古墳 埼玉古墳群のひとつ、鉄砲山古墳から巨大な粘土の塊や三重目の堀などが見つかった。
粘土の塊は、横穴式石室を塞ぐために使われ、石や礫(れき)以外のものが使われることはまれ。また、三重目の堀は、従来知られていた二重目の堀の約5メートル外側で確認され、幅は約10メートルである。このほか、祭祀を行う「前庭部」や須恵器の甕(かめ)も出土している。【埼玉県立さきたま史跡の博物館発表】
2014年
5月
伊能忠敬以前の享保年間に作製された日本地図の測量原図 広島県立歴史博物館
(広島県福山市)
江戸 江戸時代の享保年間(1716〜36年)に作製された日本地図の測量原図が、広島県立歴史博物館に寄託された古地図の中から見つかった。19世紀初めに作られた伊能忠敬の日本地図より1世紀前に作製され、精度も高い。文献などから、江戸幕府8代将軍徳川吉宗が命じて作らせたものだとみられ、現物が確認されたのは初めて。
縦152センチメートル、横336センチメートル、縮尺は21万6千分の1の地図で、北海道南部から種子島までの範囲である。地点間の見通しで位置を確定する「望視交会法(ぼうしこうかいほう)」という当時の測量法が用いられ、見通し線が書かれている。【広島県立歴史博物館発表】
2014年
6月
本能寺の変の謎に迫る 長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)の手紙 林原美術館
(岡山県岡山市)
安土・桃山 本能寺の変の直前に、明智光秀の重臣斎藤利三(としみつ)あてに長宗我部元親が送った手紙が見つかった。織田信長が一方的に変更した四国政策を元親が受け入れ、臣従(しんじゅう)する姿勢を示したことが初めて確認された。
当初、元親と信長は友好関係にあったが、急速に勢力を広げる元親に対して信長は四国征服を認めなかったため、関係が悪化。仲介役を担っていた光秀は両者の間で板ばさみとなっていた。
この四国政策転換で光秀が面子(めんつ)を潰されたことが、本能寺の変の動機として近年では有力である。今回の手紙は信長と光秀の確執の解明に役立つ史料といえる。【林原美術館・岡山県立博物館発表】
2014年
7月
太閤検地以前の台帳 秀吉の自筆入り たつの市立龍野歴史文化資料館
(兵庫県たつの市)
安土・桃山 羽柴(豊臣)秀吉の自筆入りで、太閤検地以前に田畑の面積や年貢高を記した台帳が見つかった。
指出(面積や生産高に関する土地所有者らの自己申告)をまとめたもので、「淡路二郡指出帳(あわじにこおりさしだしちょう)」と題されている。地名や年貢米の石高、年貢銭などを約100枚にわたって詳細に記述。奥付に秀吉自ら合計石高や作成日を書き、朱印を押していた。
太閤検地の本格実施の前に作られた指出帳とみられ、秀吉の治世初期の検地方法や領地分配の手続きがわかる貴重な史料である。【兵庫県たつの市発表】
2014年
7月
警視庁名簿に「斎藤一(はじめ)」 霊山(りょうぜん)歴史館
(京都府京都市)
明治 新選組三番隊組長で知られる斎藤一とみられる名前が、明治初期の警視庁の名簿に見つかった。名簿時期は、斎藤が警視庁にいたとされる時期とほぼ一致。
名簿によると、斎藤の階級は「等外一等出仕」、役職名は「書記兼戸口取調掛(とりしらべがかり)」。住宅や住民の数を調べる役職とみられるが、スパイ活動を担当し、籍だけ置いていたと推測される。斎藤は、明治維新後に藤田五郎の名で警察官になっており、新選組時代の名前が記された警察資料は極めてまれ。【霊山歴史館発表】
2014年
8月
異例のピラミッド状古墳 都塚古墳
(奈良県明日香村)
古墳 都塚古墳の墳丘部から、石を積み上げた階段状遺構が出土し、国内では類のない、ピラミッド状の大型方墳であることがわかった。
東西約41メートル、南北約42メートル、高さ4.5メートル以上と天皇陵にも迫る規模。石と土を盛り重ねて階段状に積み上げた特異な構造は、高句麗の古墳との類似性が指摘されている。多くの渡来人を配下に置き、天皇の外戚となって台頭した蘇我稲目(そがのいなめ)ら蘇我一族の有力者の墓とみられる。【明日香村教育委員会・関西大学発表】
2014年
9月
西本願寺と新選組のやり取りを記した文書 本願寺史料研究所
(京都府京都市)
江戸 新選組が西本願寺に駐屯した際のやり取りが記録された、寺務方らの「諸日記」など3種類に14本の記事が見つかった。
新選組が西本願寺に駐屯していたのは1865年3月〜67年6月の約2年3カ月。幕府側の新選組に対して、親長州派の西本願寺が警戒していた様子が文書に残されている。また、寺との窓口役であった土方歳三(ひじかたとしぞう)が「狭くて暑い」と駐屯地の変更を願い出るなど、その交渉ぶりもうかがえる。【本願寺史料研究所発表】
2014年
12月
信長・秀吉など「天下人」らの書状 民家
(兵庫県神戸市)
安土・桃山 織田信長の黒印状、豊臣秀吉の朱印状、秀吉のおい・豊臣秀次の朱印状2通の計4通が神戸市の民家から見つかった。戦国武将の書状が民家からまとまって見つかるのは異例。
いずれも、三田(さんだ)藩(現在の兵庫県三田市)などを治めた九鬼(くき)氏の一族ら宛てで、贈り物のお礼や朝鮮出兵の激励といった内容。由緒書きから、三田藩家老の九鬼図書(ずしょ)家に伝わったものとみられる。【神戸大学発表】
2013年 ※所在地名は発表当時のものです。
発表
年・月
名  称 所在地 時 代 解  説
2013年
1月
縄文時代の人骨11体 市谷加賀町二丁目遺跡
(東京都新宿区)
縄文 新宿区の市谷加賀町の住宅街で、縄文式土器や竪穴住居跡とともに縄文時代の人骨11体が発見された。
約4000年前の縄文時代中期〜後期の骨で、3体は男性、8体は女性と確認された。新宿区によると、酸性の土壌で骨が腐食しやすい武蔵野台地で縄文時代の人骨が見つかるのは極めて珍しいという。歯の磨耗から、動物の皮をなめすために歯を使っていた可能性があるなど、当時の生活の様子も伺える。今後DNA型鑑定を実施し、人骨の血縁関係などを調査する。【東京都新宿区発表】
2013年
2月
前方後円墳の周濠から橋の跡 ニサンザイ古墳
(大阪府堺市)
古墳 百舌(もず)古墳群のひとつ、5世紀前半の前方後円墳の後円部斜面から周濠(堀)の堤にかけて多数の柱穴が見つかった。木製の橋の跡とみられ、過去に類例のない発見。
見つかった柱穴は南北方向に3列、東西方向に7列に整然と並び、柱と考えられるクヌギ材も一部が見つかった。橋は、後円部と対岸の堤をまっすぐ結び、約40メートルと推定される。柱穴には埋め戻された跡があり、古墳の造成中か完成直後に架けられ、短期間で撤去されたとみられる。専門家からは、儀式用か、土や石棺を運ぶための運搬用との考えが出されている。古墳の周濠から橋の跡が見つかった例はなく、『古事記』や『日本書紀』にも記述のない、画期的な発見とされる。【大阪府堺市発表】
2013年
3月
伊達政宗の起請文 (茨城県ひたちなか市) 安土・桃山 東日本大震災で損壊した茨城県ひたちなか市の土蔵から、戦国大名伊達政宗の起請文(誓約書)が見つかった。対立する佐竹(さたけ)氏につく常陸の武士に対し、裏切りを促した密書とみられる。
起請文は1589年に常陸の大名佐竹義宣(よしのぶ)の配下、小野崎昭通(おのさきあきみち)に宛てられ、近隣の江戸氏に勝てば、その領地の一部を与えると約束するとともに、佐竹氏からの離反を条件とする記述もみられる。関東方面に送られた政宗の起請文の発見は初めて。
土蔵の所有者が「政宗」と読めるこの起請文を発見し、被災した文化財が建物ごと処分されないよう活動するボランティア団体「茨城史料ネット」に連絡したことにより内容が確認された。【読売新聞による】
2013年
4月
古墳時代の馬具一式 谷山北地区遺跡群
(福岡県古賀市)
古墳 古墳時代後期(6世紀末〜7世紀初頭)の馬具一式が、船原(ふなばる)古墳に隣接する土坑から見つかった。馬具がまとまって発見されることは珍しく、馬具専用の埋納坑は全国的に類例がない。馬の背に乗せる「鞍」、ひもをつなげる「辻金具(つじかなぐ)」や「引手(ひって)」など金銅製品14点を含む18点が確認された。特に金銅製の「引手」は、これまでに国内では藤ノ木古墳出土品など4例しか見つかっておらず、大変貴重な発見である。【福岡県古賀市教育委員会発表】
2013年
5月
国内最古の木製仮面 大福遺跡
(奈良県桜井市)
弥生〜古墳 弥生時代末期〜古墳時代初頭(2世紀後半ごろ)の木製仮面の一部が見つかった。同市内の纏向(まきむく)遺跡では同種の仮面が完全な形で出土しているが、今回の出土品はそれを数十年さかのぼるとみられる。全長23センチメートル、最大幅7センチメートル、厚さ5ミリメートルで、仮面の約半分に当たる。【奈良県桜井市教育委員会発表】
2013年
6月
多数の弓・農具 谷山北地区遺跡群
(福岡県古賀市)
古墳 同年4月に馬具一式が発見された谷山北地区遺跡群の同埋納坑で、今度は多数の弓や農具が出土した。弓は漆塗りで長さ2.2〜2.3メートルで、敷きつめられたように並んでおり、少なくとも6点が見つかった。古墳時代の弓がまとまって出土した例としては国内最多とみられる。そのほかに、弓弭(ゆはず)(弦を引っかけるための部品)、弓の飾り金具、鏃(やじり)、農具では鉄製の鋤(すき)や鎌も見つかった。【福岡県古賀市教育委員会発表】
2013年
8月
双環柄頭短剣の鋳型 上御殿遺跡
(滋賀県高島市)
弥生〜古墳 弥生時代中期〜古墳時代前期(前4世紀〜3世紀)とみられる、双環柄頭(そうかんつかがしら)の短剣の鋳型(いがた)が見つかった。国内での発見は初めて。
鋳型はシルト岩製で、2枚重なって出土。いずれも長さ約30センチメートル、幅約9センチメートル、厚さ約4センチメートル。柄と剣身を一度に鋳造(ちゅうぞう)するタイプだが、実際に鋳造した痕跡はなく短剣も出土していない。
柄の先に直径2.3センチメートルの輪が2つ付き、剣身は直線状で、中国の春秋・戦国時代(紀元前8〜前3世紀)に北方騎馬民族が使った「オルドス式短剣」に酷似している。
研究者によると、中国北方の短剣をベースに国内で作られた可能性が考えられるが、技術がどのように伝わったかは不明。朝鮮半島での出土例がないため、伝達ルートについては、東アジア規模で注目する必要がある。【滋賀県文化財保護協会発表】
2013年
8月
宮内省での機密文書焼却指示 宮内庁宮内公文書館
(東京都千代田区)
昭和 敗戦直後、当時の宮内省が機密書類の焼却を省内に指示した文書が宮内庁の宮内公文書館に残っていた。軍部が戦争犯罪の追及を恐れて機密書類を焼いたことは知られているが、当時の政府機関の中枢が焼却を指示した公文書が見つかるのは珍しい。
1945年8月18日付の「機密書類ノ焼却ノ件」と題する文書で、宮内省の大臣官房から省内の各部局長宛に出され、「機密ニ属シ破棄相当ト認ムベキモノ」を「原簿ト共ニ之ノ際全部焼却スルコト」とし、8月18〜22日に「宮城(きゅうじょう)内 三重櫓(富士見櫓)下」で焼くように指定している。これは、昭和天皇の侍従長を務めた徳川義寛の『徳川義寛終戦日記』における8月21日の文書焼却の記述と符合する。
敗戦時の機密文書焼却については、陸軍省が8月14日に全部隊に指示したことを認めた書類が東京裁判に提出されたほか、海軍の暗号を解読した米軍資料、内務省や外務省OBの証言記録などから明らかになっている。【朝日新聞による】
2013年
9月
生麦事件犠牲者の生前の写真 アメリカ 幕末 幕末の1862年の生麦事件で薩摩藩士に殺害された英国人商人チャールズ・リチャードソンの立ち姿の写真が見つかった。これまでは事件直後の遺体の写真しか確認されておらず、生前の写真の発見は初めて。
写真は、幕末に日本に滞在した英国人ジェームズ・キャンベル・フレイザーの子孫で、アメリカ在住の男性が所有する写真帳から見つかった。6月に、フレイザーが日本で加入していた会員制スポーツクラブが、設立150年の行事のためにこの写真帳を借り受けて発見。横浜開港資料館に連絡し、リチャードソンと確認された。
リチャードソンは上海でフレイザーと知り合い、名刺代わりに写真を交換したと考えられる。写真の余白にはリチャードソンの名前のほか、フレイザーによるものと思われる生麦事件に関する記述が書き込まれている。【朝日新聞による】
2013年
10月
国内最古の「酔象(すいぞう)」駒 興福寺旧境内
(奈良県奈良市)
平安 平安時代の井戸跡から、木製の将棋駒4点(「酔象」、「桂馬」、「歩兵」、判読不明)が見つかった。同時に承徳2(1098)年の年号が記された木簡も出土し、駒は平安時代のものと特定された。
「酔象」駒は現在の将棋より駒数が多い「大将棋」や「中将棋」で使用され、鎌倉時代の文献『二中歴(にちゅうれき)』に記されている。これまでの最古例は14世紀中ごろで、今回の発見で約250年さかのぼることになった。【奈良県立橿原考古学研究所発表】
2013年
11月
沖縄最古の土器 サキタリ洞遺跡
(沖縄県南城市)
縄文 地表から約2.5メートルの深さの地層から出土した土器破片約20点が、約8000年前の沖縄最古のものであることがわかった。一緒に見つかったカタツムリの殻を放射性炭素年代測定で測ったところ、約8000年前の縄文時代早期ごろのものであると判明した。
土器は押引文(おしびきもん)とよばれる文様があしらわれている。これまで沖縄では約7000〜6000年前の無文土器や南島爪形文(なんとうつめがたもん)土器が最古とされていたが、今回の調査でこれらをさかのぼる発見となった。【沖縄県立博物館・美術館発表】
2013年
12月
鉄生産の地上炉跡 カラカミ遺跡
(長崎県壱岐市)
弥生 弥生時代の環濠集落跡であるカラカミ遺跡から、国内初の鉄生産用の地上炉跡が発見された。
炉跡は6基見つかり、床面に直接炉を築く地上式であった。床面に直径約80センチメートルの範囲で焼け土が確認された。
これまで国内で確認されている炉跡は地下式で、弥生時代の精錬炉跡は発見されていない。今回発見された炉跡は朝鮮半島の精錬炉跡に類似しているため、カラカミ遺跡では、鉄を精錬していた可能性も考えられる。【長崎県壱岐市教育委員会発表】
2012年 ※所在地名は発表当時のものです。
発表
年・月
名  称 所在地 時 代 解  説
2012年
1月
最古のひらがなが書かれた土器 国史跡・斎宮(さいぐう)跡
(三重県明和町)
平安 ひらがなの「いろは歌」が書かれた平安時代の墨書土器が見つかった。11世紀末〜12世紀前半の土師器で、ひらがなが記された最古の確認例になる。土師器は4枚の破片で、つなぎ合わせると縦6.7センチメートル、横4.3センチメートル、高さ1センチメートル。表に「ぬるをわか」、裏に「つねなら」と書かれている。斎宮は天皇に代わって伊勢神宮に仕えた皇女「斎王」の宮殿があった場所で、地元の女官が文字を覚えるために書いた可能性が高い。都の文化が地方に広まっていった過程を示す重要な資料になる。【三重県立斎宮歴史博物館発表】
2012年
2月
正倉院宝物と同形金具のついた刀子(とうす) 十五郎穴横穴墓群
(茨城県ひたちなか市)
古墳〜平安 東日本最大級の集団墓から、正倉院の宝物と同じ形の「帯執(おびとり)金具」が付いた全長25センチメートルの鉄製の刀子が発見された。位の高い人物しか持てないもので、中央とつながりの深い人物が埋葬されていたと考えられる。帯執金具は刀をひもでつり下げるための道具で、刀子は木簡などを削るために使われた小刀。刀身の付いた完全な形での出土は全国初とされる。【ひたちなか市教育委員会発表】
2012年
3月
大坂冬の陣 布陣図 神田
(東京都千代田区)
江戸 1614年の大坂冬の陣の布陣を描いた絵図が見つかった。東京・神田の古書補修業者が古書を分解中、裏紙として使用されていたものを発見した。縦37センチメートル、横27センチメートルで、徳川秀忠を示す「将軍様」、徳川家康を示す「御所様」のほか、布陣する武将名と兵数、地名などが記されている。簡素な描写と、紙を縦に使用していることから「瓦版」のさきがけのような存在と考えられる。戦いの直後に描かれた可能性もある。【読売新聞による】
2012年
4月
奈良時代の「休暇願」 個人
(東京都)
奈良 戦後、所在不明となっていた正倉院文書が見つかった。東京都内の個人が秘蔵していた文書を奈良国立博物館が調査し、実物と判明した。見つかったのは写経を担当する下級役人が書いた「休暇願」で、重病にかかった姑の看病のため、4日間の休暇を願い出た内容が墨書されている。また、その裏には写経所の食材の使用状況が記されており、休暇願の裏面を帳簿として再利用したものと考えられる。【奈良国立博物館発表】
2012年
6月
最古の「戸籍」を記した木簡 国分松本遺跡
(福岡県太宰府市)
飛鳥 7世紀末の戸籍情報を記した木簡が出土した。現存最古の戸籍は、正倉院文書の702年のものであったが、それをさかのぼる資料となる。縦31センチメートル、横8センチメートルの木簡には、「嶋評(しまひょう)」「進大弐(しんだいに)」という文字や、16人の人名や身分・性別なども記されている。「評」は701年の大宝律令で「郡」に変更されるまで使用されていた行政単位、「進大弐」は685年に定められた冠位であることから、この戸籍は7世紀末に作成されたものと推定される。これまで、690年に庚寅年籍(こういんねんじゃく)が作成されたことは知られているが、実物は現存しておらず、今回、その存在を裏付けるものとして重要な発見となった。【福岡県太宰府市教育委員会発表】
2012年
6月
旧二条城の堀跡 京都府庁東側付近
(京都市上京区)
安土桃山 織田信長が15代将軍足利義昭のために築城した旧二条城の一部とみられる堀跡が見つかった。二重堀のうちの内堀の西側にあたるものとみられる。発掘された堀跡は、長さ8メートル、深さ2.2〜2.4メートル、幅4.5〜6.5メートル。宣教師ルイス=フロイスの著書『日本史』では、旧二条城について「二重の堀があった」と記述されている。これまでの調査で、二重堀の構造は判明していたが、今回の調査で、内堀の規模が、南北160メートル、東西200メートルになることが判明した。【古代文化調査会発表】
2012年
7月
小林一茶自筆の草稿 一茶記念館
(長野県信濃町)
江戸 江戸時代後期の俳人・小林一茶の自筆の草稿が見つかった。見つかった草稿は俳句選集『三韓人』の最後の2ページ分で、15人の俳句が選句されており、初版本では差し替えられた句もある。一茶による出版本の自筆草稿が発見されたのは初めて。『三韓人』は1814年に出版され、一茶と交流のあった全国の俳人242人の俳句が収録されている。全国を遍歴し多くの俳人と接した一茶の集大成といえる選集。【読売新聞による】
2012年
8月
平安宮楼閣(ろうかく)の瓦(かわら)片 平安宮跡
(京都市中京区)
平安 平安宮跡で、宮内にあった楼閣「白虎楼」のものとみられる平安時代中期の瓦片が多数出土した。軒先を飾った「軒平瓦」には唐草文様、「軒丸瓦」にはハスをかたどった文様が施されており、上質のものだった。近くでは緑色の光沢をした「緑釉(りょくゆう)瓦」も出土し、こちらは平安時代前期の大極殿に関連すると考えられている。白虎楼は大極殿の南西にあった二重屋根の建物で、景色を眺めたり外敵を見張ったりする施設と考えられる。平安時代に3度火災で焼失した。遺構は見つかっておらず、瓦片の出土は存在を裏付ける発見。なお京都市左京区の平安神宮には明治時代に復元された白虎楼(重要文化財)がある。【京都市埋蔵文化財研究所発表】
2012年
9月
新潟でヤマト政権に関連する副葬品 城の山(じょうのやま)古墳
(新潟県胎内市大塚)
古墳 4世紀前半の城の山古墳から、銅鏡や勾玉、大刀など近畿地方のヤマト政権の古墳と似た組合せの副葬品が発見された。ヤマト政権の影響が、従来よりも250キロメートル北の新潟県北部まで及んでいたことを示す発見となった。城の山古墳は、古墳時代前期のものとしては日本海側最北。今回出土したのは、直径約9センチメートルの銅鏡のほか、大刀や斧、弓、矢、ヒスイの勾玉、凝灰岩の管玉など。矢を入れる革製の箱「靫(ゆぎ)」に漆が塗られていたことが確認された。これらの副葬品は畿内の中枢から持ち込まれたとみられ、被葬者がヤマト政権と強いつながりを持ち、またヤマト政権が東北まで勢力を広げようとしていたことを示す貴重な発見。【新潟県胎内市教育委員会発表】
2012年
10月
1万2000年前の人骨と石器 サキタリ洞遺跡
(沖縄県南城市)
旧石器〜縄文 1万2000年前の人骨と石器が同じ地点で出土した。人骨と石器がそろって出土した例としては国内最古のもの。発見されたのは、子どもの歯と石英製の石器3点。3点は加工された形跡がみられたことから、石器と判断された。これらは約1.5×2.5メートル四方の範囲から見つかり、同地点からは、食用にしたとみられる貝の殻やイノシシの骨も見つかった。【沖縄県立博物館・美術館発表】
2012年
11月
7300年前の埋葬された犬の骨 上黒岩岩陰遺跡
(愛媛県久万高原町)
縄文 約50年前に発掘された犬2体の骨が、放射性炭素年代測定で、7300〜7200年前のものと判明した。犬の埋葬例としては国内最古のもの。
犬の骨は1962年に発掘されたものの、その後行方不明となり、2011年、慶応義塾大学の考古資料収蔵庫で見つかった。国内最古の犬の骨は、神奈川県横須賀市の夏島貝塚出土の1万年前のものだが、埋葬された痕跡はないという。【慶應義塾大学・久万高原町発表】
2012年
12月
甲(よろい)を着た人骨 金井東裏遺跡
(群馬県渋川市)
古墳 6世紀初頭の火山灰の層から、甲を身に着けた状態の成人男性の人骨が出土した。古墳時代の人骨が火山灰の層から見つかったことも、甲が身に着けられた状態で見つかったことも国内初で、大変貴重な発見である。この人骨は、榛名山の噴火被害により死亡した人物のものとみられ、両膝を曲げた状態で前のめりに倒れた姿勢で見つかった。【群馬県教育委員会・群馬県埋蔵文化財調査事業団発表】
2012年
12月
聚楽第の石垣 聚楽第跡
(京都市上京区)
安土桃山 聚楽第の本丸の石垣とみられる遺構が、長さ32メートル、高さ2.3メートル(3〜4段)にわたって見つかった。石垣は最下層部分とみられ、上部が破壊されているため、本来の高さは不明だという。
聚楽第は、豊臣秀吉が1587年に京都の公邸として造営した城郭。1591年、跡継ぎとなった甥の秀次に譲ったが、その後秀吉に嫡男・秀頼が生まれると、秀次は謀反の疑いをかけられ、切腹に追い込まれた。聚楽第は1595年に徹底的に破壊されたと伝えられていたため、これまで遺構は残っていないものと考えられていた。【京都府埋蔵文化財調査研究センター発表】
2011年 ※所在地名は発表当時のものです。
発表
年・月
名  称 所在地 時 代 解  説
2011年
1月
本州初の「星雲文鏡」 青谷上寺地遺跡
(鳥取県鳥取市)
弥生 弥生集落跡から中国の前漢時代に作られた青銅鏡「星雲文鏡(せいうんもんきょう)」の破片が出土。九州では8例あるが本州では初。集落が大陸との交易拠点だったことを示す。【鳥取県埋蔵文化センター発表】
2011年
1月
国内最古の将棋盤 高浜I遺跡
(島根県出雲市)
室町 室町時代の武家の屋敷跡とされる島根県の高浜T遺跡から、将棋盤の一部と駒2つが出土。発見された将棋盤としては国内最古とされる。ごみ捨て場跡から漆器類とともに発見され、刃物傷が多数あったため、まな板か建材として再利用された可能性がある。【島根県埋蔵文化財調査センター発表】
2011年
2月
国内最古の人物埴輪 茅原大墓古墳
(奈良県桜井市)
古墳 4世紀末の前方後円墳、茅原大墓(ちはらおおはか)古墳で、国内最古とされる人物埴輪が見つかった。「盾持人(たてもちびと)埴輪」と呼ばれる、兵士をかたどった埴輪で、墳丘外縁部に立てて被葬者の魔よけにしたと考えられている。【桜井市教育委員会発表】
2011年
4月
聖武天皇の宴の庭 平城宮跡北
(奈良県奈良市)
奈良 聖武天皇が宴を催した「松林苑」の池や楼閣の跡が見つかった。苑池や建物の遺構が同時に発見されるのは初めて。石張りの護岸と複数の建物跡が、また、池の中からは宴で使用されたとみられる皿や甕などの土器も発見された。【奈良県立橿原考古学研究所発表】
2011年
5月
木製の柄付き石器 河原口坊中遺跡
(神奈川県海老名市)
弥生 ドーナツ状に穴を開けた楕円形の石器に木製の柄が付いたままで発見された。木は腐りやすく、石器に付いたままで出土することは大変珍しい。これまでこの形状の石器は、ハンマーとして使用したとする説と、魚網の錘(石錘)として使用したとする説とに見解が分かれていたが、今回の発見でハンマーとして使用されていた可能性が高まった。【かながわ考古学財団発表】
2011年
6月
日本最古の城郭墨書 小牧山城
(愛知県小牧市)
戦国 織田信長が1563年に築城した小牧山城の城郭から、「佐久間」と墨書された石材が見つかった。城郭の石に書かれた墨書としては日本最古となる。「佐久間」は、織田氏の重臣「佐久間信盛(のぶもり)」を指すとみられる。見つかったのは、本丸北西側の斜面で、ここが佐久間信盛の割り当て工区だったと考えられる。【小牧市教育委員会発表】
2011年
6月
複数の副室が存在? 桜井茶臼山古墳
(奈良県桜井市)
古墳 3世紀末〜4世紀初めの前方後円墳である桜井茶臼山古墳で、石室の東と北に「副室」と見られる遺構が見つかった。同時代の古墳から複数の副室が発見された例はなく、貴重な発見である。副室の内部は未発掘のため不明だが、副葬品や供物などを納めたと思われる。東側の副室は長さ8メートル、幅1.5メートル以上、北側の副室は長さ2メートル、幅1.5メートル以上の規模とみられる。崩壊した西側にも石材が散乱し、副室が存在した可能性があるという。【奈良県立橿原考古学研究所発表】
2011年
7月
最古のシャーマンの線画 三内丸山遺跡
(青森県青森市)
縄文 三内丸山遺跡で、縄文時代中期の土器片に踊るシャーマンの線画が描かれていることがわかった。祈り踊るシャーマンの最古の例とされる。土器片は1993年に遺跡中心部北側の「北盛土(もりど)」と呼ばれる遺構から出土した。縄文模様の上にしっかりとした線で、両手を広げ、両足を踏ん張る様子の人物が描かれ、手や頭部に祭具を表すような線が引かれている。【青森県文化財保護課発表】
2011年
8月
山アの戦い 明智光秀の堀 長岡京跡
(京都府長岡京市)
戦国 長岡京跡で、戦国時代の堀の跡が見つかった。近くには、1582年の山アの戦いで明智光秀が本陣を構えた場所とされる恵解山(いげのやま)古墳があり、光秀の軍が築いた堀だった可能性がある。堀は南北に49メートル分が確認され、幅や深さが不ぞろいで、戦に備えて急造されたとみられる。出土した16世紀の土器から戦国時代の遺構と判断された。山アの戦いは、本能寺の変後、光秀と秀吉が天王山のふもとで戦い、秀吉側が勝利した。【長岡京市埋蔵文化財センター発表】
2011年
9月
最古の暦が刻印された鉄製大刀 元岡古墳群
(福岡県福岡市)
古墳 7世紀中ごろの元岡古墳群から、570年とされる「庚寅(こういん)」と「正月六日」という日付が刻印された鉄製の大刀が見つかった。年と月日を組みあわせて表記した古墳出土の刀剣類の発見は初めて。当時暦が使用されていたことを示す国内最古の例とみられる。出土した大刀をX線で解析したところ、刀身の背に、彫った文字に金や銀を埋め込む象嵌(ぞうがん)という技法で年月日を含む19文字が記されていた。「庚寅の年の正月六日庚寅の日に、この刀を作った。12回練り鍛えた。」と読め、年と日付の干支から570年とされる。『日本書紀』には、554年に朝鮮半島から日本に暦がもたらされたとあり、今回の発見は『日本書紀』の記述を裏付けるものとなる。【福岡市教育委員会発表】
2011年
10月
聖武天皇の歯? 東大寺大仏殿
(奈良県奈良市)
奈良 明治時代の大仏殿修理の際、大仏の須弥壇の下から鎮壇具(ちんだんぐ)とともに人の歯が発掘された。鎮壇具とは地鎮のために埋納される品のことで、見つかった鎮壇具には聖武天皇の遺愛品が含まれていた。近年の調査によって、見つかった歯は熟年男性のものであることが判明し、50代半ばで亡くなった聖武天皇の歯である可能性がでてきた。歯は右下あごの第1臼歯で、長さ約2センチメートル、幅約1.2センチメートル。【奈良国立博物館発表】
2011年
10月
沈没した元寇船 伊万里湾鷹島沖海底
(長崎県松浦市)
鎌倉 鷹島沖水深20〜25メートルで、元寇の際に沈没したとみられる軍船が発見された。鷹島沖は弘安の役(1281年)の際、元軍の船が暴風雨によって沈没した海域として知られているが、船が原形をとどめた状態で見つかったのは初めて。船の背骨にあたるキールが、幅約50センチメートル、長さ約12メートルにわたって確認され、両側には船底の外板材が並び、釘で留めた跡も見つかった。船の全長は20メートルを超えるとみられる。【琉球大学池田栄史教授発表】
2011年
12月
平安貴族の邸宅跡 平安京右京三条一坊六町跡
(京都府京都市)
平安 平安時代前期の貴族の邸宅跡が発見された。発掘された墨書土器などから右大臣・藤原良相(よしみ)(813〜867年)の邸宅跡と断定された。特定の平安貴族の邸宅跡が発掘調査によって確認されたのは初めて。また、敷地からは庭池跡も見つかっており、その池の周囲からは「曲水の宴(きょくすいのえん・ごくすいのえん)」を開いたとみられるS字型の石敷きも発掘された。【京都市埋蔵文化財研究所発表】
2010年 ※所在地名は発表当時のものです。
発表
年・月
名  称 所在地 時 代 解  説
2010年
1月
国内最多81面分の銅鏡片 桜井茶臼山古墳
(奈良県桜井市)
弥生〜古墳 ヤマト政権初期の大王墓の可能性がある大型前方後円墳、桜井茶臼山古墳で国内最多の13種81面の銅鏡が副葬されていた。出土したうち、三角縁神獣鏡1枚の破片が、過去に群馬県で出土した、魏の年号「正始元年」(240年)の入った鏡と一致し、同じ鋳型で作られた鏡であることがわかった。正始元年は卑弥呼の使者が魏から帰国した年。【奈良県立橿原考古学研究所発表】
2010年
2月
約2万年前の旧石器人骨 白保竿根田原洞穴遺跡
(沖縄県石垣島)
旧石器 炭素年代測定によって、出土した人骨が約2万年前の旧石器人のものであることがわかった。放射性炭素を直接測定した人骨としては日本最古。【NPO法人沖縄鍾乳洞協会などの専門家によるチームの発表】
2010年
2月
よろいの一部の鉄板約30点 長岡京内裏跡
(京都府向日市)
古墳〜平安 桓武天皇の居所だった内裏跡から、古代の甲(よろい)の一部の鉄板約30点が見つかった。内裏跡から甲が見つかるのは初めて。皇位を象徴する御物として受け継がれていた可能性がある。【京都府向日市埋蔵文化財センター発表】
2010年
3月
山城の出現を200年早める 大鳥井山遺跡
(秋田県横手市)
平安 これまで武士が築く山城の出現は14世紀とされてきたが、11世紀後半に最盛期を迎えた大鳥井山遺跡は戦国の山城にも匹敵する規模であり、山城の出現を200年早める可能性が出てきた。【秋田県横手市教育委員会発表】
2010年
4月
信長のサウナ風呂? 二条屋敷跡
(京都府京都市)
安土・桃山 織田信長が京屋敷として使用した「二条屋敷」の跡から、桃山時代の風呂の遺構が発見された。絵巻物などによると、当時の風呂は蒸気で体を温めるサウナ式だった。信長が客を歓待したり、自ら楽しんだ可能性がある。【京都市埋蔵文化財研究所発表】
2010年
4月
渡来官僚の名を記した皿 西大寺境内
(奈良県奈良市)
奈良 奈良時代に遣唐使船で来日した中国人官僚、「皇甫東朝」の名前が記された皿状の須恵器の破片が出土。発掘資料で渡来中国人の存在が裏付けられたのは初めて。【奈良県奈良市埋蔵文化財調査センター、奈良県立橿原考古学研究所発表】
2010年
5月
家康の府中御殿跡 JR府中本町駅前発掘調査地
(東京都府中市)
安土・桃山〜江戸 徳川家康が鷹狩などに使った「府中御殿」の遺構が見つかった。御殿は家康が1590年に建設。歴代将軍が鷹狩に使ったり、奥州征伐を終えた豊臣秀吉を招いたりしたとされるが、1646年に焼失し、これまで場所は特定されていなかった。【東京都府中市発表】
2010年
5月
1万3000年前最古級土偶 相谷熊原遺跡
(滋賀県東近江市)
縄文 女性の特徴をもつ土偶をはじめ、縄文草創期の爪形文土器や矢柄研磨器(砥石)が出土。放射性炭素年代測定法により約1万3000年前のものと測定された。土偶は高さ3cmほど。胴体部分のみの造形で、完全な形で出土。乳房が強調されており、腹部や臀部を強調した縄文中期の妊婦型の土偶とは対照的。【滋賀県文化財保護協会発表】
2010年
6月
男女の人骨と性別ごとの副葬品 小竹貝塚
(富山県富山市)
縄文 6000〜5500年前の貝塚から縄文前期の人骨が13体発見(同年10月には新たに60体発見と発表)され、同じ墓坑に埋葬された2体の付近には、石皿と石斧(せきふ)があった。石皿は女性、石斧は男性の象徴として服装された例があり、男女の社会的な役割を示しているとされる。人骨と男女の道具を伴う埋葬例は縄文前期では初めて。【富山県文化振興財団埋蔵文化財調査事務所発表】
2010年
7月
遣唐使・円仁が記された石板 法王寺
(中国河南省登封市)
平安 平安時代の僧で、遣唐使の円仁の名前の記された石板が中国で発見。中国に残された遣唐使の遺物を示す例としては井真成の墓誌に続き、2例目となる。【國學院大學栃木短期大学 酒寄雅志教授(東アジア古代史)発表】
2010年
7月
ベンガラ使用の絵画土器 一色青海遺跡
(愛知県稲沢市)
弥生 赤い顔料ベンガラでシカを描いた土器が発見された。ベンガラを使った弥生時代の絵画土器の発見は日本初。下水に含まれる鉄分を精製して顔料を作った可能性が高い。【愛知県埋蔵文化財センター発表】
2010年
8月
最古の現役木造建材 元興寺
(奈良県奈良市)
飛鳥 元興寺の禅室(国宝)に、飛鳥時代初期の586年ごろに伐採されたヒノキが使われていることがわかった。最も古い木造建築とされる法隆寺を約100年さかのぼる。元興寺は奈良県明日香村の飛鳥寺を前身とし、平城遷都に合わせ平城京内に移された。新築とされていたが、少なくとも禅室は移築の可能性が高まる。【総合地球環境学研究所発表】
2010年
8月
魔よけ?桃の種2000個 纒向遺跡
(奈良県桜井市)
弥生〜古墳 大型建物跡そばの穴から桃の種2000個超が出土。ほかにも竹ざるや木製の剣、割られた土器なども出土し、祭祀に関係するとされる。時代は3世紀中ごろとみられ、1か所でこれほどの桃の種が見つかるのは異例。古代中国の道教では、桃は不老不死や魔よけの呪力があると考えられていた。【奈良県桜井市教育委員会発表】
2010年
9月
横井小楠の書簡「国是十二条」 東京都
幕末 幕末の思想家、横井小楠が国のあり方の基本を書いた「国是十二条」の実物が発見。複数ある「国是」のうち「国是十二条」は福井藩に提出され、坂本龍馬の「船中八策」や、後の「五箇条の御誓文」に影響を与えたとされる。【大阪大学 猪飼隆明名誉教授(日本近代史)発表】
2010年
10月
最古級・最大級の「粘土槨」発見 長尾山古墳
(兵庫県宝塚市)
古墳 国内最古級・最大級の「粘土槨(ねんどかく)」が発見された。粘土槨は木棺を覆い、保護するための粘土の層で、古墳時代前期に成立した埋葬施設。竪穴式石室を簡易化したものである。同時代で建造当時の姿を保っているものとしては初めての発見である。【兵庫県宝塚市教育委員会・大阪大学考古学研究室発表】
2010年
11月
4世紀の大型建物群 秋津遺跡
(奈良県御所市)
古墳 大規模な区画跡、建物跡、集落跡が見つかった。秋津遺跡では、強固な板塀で囲まれていたとみられる区画跡が見つかっており、権力者の祭祀空間や館だったと考えられる。【奈良県立橿原考古学研究所発表】
2010年
12月
天智天皇の娘の墓発見、牽牛子塚古墳は斉明天皇陵か? 越塚御門古墳
牽牛子塚古墳
(奈良県明日香村)
飛鳥 牽牛子塚(けんごしづか)古墳の南東約20mで棺をおさめた石室が発見。越塚御門(こしつかごもん)古墳と名付けられた。牽牛子塚古墳は斉明天皇陵とする説があり、それに従うと今回発見された石室に埋葬されたのは斉明天皇の孫で、天智天皇の娘にあたる大田皇女(おおたのひめみこ)の可能性がある。『日本書紀』には、667年斉明天皇とその娘を合葬し、孫の大田皇女を御陵の前に埋葬したと書かれている。牽牛子塚古墳では2人用の棺が納められる石室が見つかっており、位置関係からも越塚御門古墳が大田皇女の墓であり、牽牛子塚古墳が斉明天皇陵であることが裏付けられたとされる。【奈良県明日香村教育委員会発表】
2009年 ※所在地名は発表当時のものです。
発表
年・月
名  称 所在地 時 代 解  説
2009年
1月
最大規模の鉄器工房群 垣内遺跡
(兵庫県淡路市)
弥生 2〜3世紀の鉄器工房跡が見つかった。これまで近畿では大規模な鉄器工房跡は見つかっておらず、鉄の流通経路を新たに示す貴重な成果となる。【兵庫県淡路市教育委員会発表】
2009年
2月
興福寺波羅門立像墨書 興福寺
(奈良県奈良市)
安土・桃山 興福寺所蔵の木像、波羅門(ばらもん)立像の頭の内部に安土・桃山時代の1577(天正5)年制作を示す墨書があることがわかった。頭内部からの発見は珍しいという。【興福寺発表】
2009年
2月
とさかのある人面付土器 温江遺跡
(京都府与謝野町)
弥生 頭にとさかのようなものが表現された人面付土器が出土。司祭者が鳥の格好をしていたか?弥生時代の祭祀のあり方を復元する上で興味深い発見。【京都府埋蔵文化財調査研究センター発表】
2009年
3月
纒向遺跡巨大建物群 纒向遺跡
(奈良県桜井市)
弥生〜古墳 3世紀前半の建物跡が同じ方位を向き、同一直線上に並んで建てられていることがわかった。日本最初の都市、あるいは初期ヤマト政権最初の都宮とする見解も示されている。邪馬台国の候補地として注目されている。【奈良県桜井市教育委員会発表】
2009年
5月
弥生人のヘルメット 上原遺跡
(岡山県総社市)
弥生 ヘルメットのようにかぶって使われたと思われる、人頭をかたどった土製品が出土。かぶる形の土器は全国初。祭祀の際に呪術師がかぶったと考えられる。【岡山県総社市教育委員会】
2009年
6月
古墳石室上部に丸太跡 桜井茶臼山古墳
(奈良県桜井市)
古墳 被葬者を安置した石室の真上部分に約150本の丸太の跡が見つかった。石室の神聖さを守る「結界」の役割や、死者を弔う祭礼の館の可能性がある。【奈良県立橿原考古学研究所発表】
2009年
7月
国内最古のイスラム陶器 平城京跡西大寺旧境内
(奈良県奈良市)
奈良 8世紀後半のイスラム陶器の破片19点が出土した。これまでの国内発見例を約1世紀さかのぼる。香料などの容器として、海上交易に使われたとみられ、「海のシルクロード」が奈良時代から利用されていたことを示す貴重な資料。【奈良県奈良市埋蔵文化財調査センター発表】
2009年
7月
山本勘助の実在を示す書状 群馬県安中市旧家
戦国 武田信玄の花押が記された書状が2通発見され、あて名は「山本菅介」「山本菅助」となっていた。「山本かんすけ」なる人物が大きな武功を立てて褒賞を受けたことや、信玄の側近的な地位にいたことをうかがわせる内容。【山梨県立博物館発表】
2009年
7月
『蜻蛉日記』最古の断簡 東京都
鎌倉 現存最古として知られていた鎌倉時代の『蜻蛉日記』の断簡の3葉目が見つかった。すでに知られる2葉は「玉津切」と名付けられ、国宝の手鑑(てかがみ)に入っている。【中央大学 池田和臣教授(平安文学)発表】
2009年
8月
最古の住居跡 小保戸遺跡
(神奈川県相模原市)
旧石器 百数十基の礫からなる礫群3基が出土。礫群は直径2.5〜3.5mの円形で、旧石器時代人が短期間住んだ跡の「住居状遺構」である可能性が高く、この種では最古。【かながわ考古学財団発表】
2009年
9月
アイヌ交易最古の帳簿 ロシア科学アカデミー東洋戸籍文献研究所
(ロシア サンクトペテルブルク)
江戸 アイヌ民族と日本人商人とのサハリンでの交易を示す帳簿がロシアで発見された。サハリン南部のクシュンコタン(現在のコルサコフ)の番屋(日本人の経営拠点)における、1804(文化元)年から3年分の記録で、現在日ロ共同で研究が進められている。当時、アイヌ側へは酒、たばこ、米、鉄器、布地など48品目が、日本へはニシン、サケ、イリコ、魚油など水産物を中心に15品目がもたらされていたことがわかった。【北海道大学 谷本晃久准教授発表】
2009年
9月
国内最古の石器? 砂原遺跡
(島根県出雲市)
旧石器 12〜7万年前の地層から旧石器20点が出土した。約12万年前のものであれば国内最古とされる金取遺跡(岩手県遠野市)の約9万年の記録を3万年さかのぼることになる。【同志社大学 松藤和人教授を団長とする調査団発表】
2009年
10月
大王墓級 葺石 津堂城山古墳
(大阪府藤井寺市)
古墳 大王墓級の前方後円墳で、こぶし大の石を敷き詰めた「葺石(ふきいし)」が良好な状態で確認された。墳丘本体の発掘は約100年ぶり。初期の大王墓の構造の解明につながるとみられる。【大阪府藤井寺市教育委員会発表】
2009年
10月
全面に朱が塗られた大型の竪穴式石室 桜井茶臼山古墳
(奈良県桜井市)
古墳 全面に朱が塗られた大型の竪穴式石室と、木棺が確認された。石室、木棺ともに古墳時代前期としては最大級。使われた顔料は水銀朱で200s使われたとみられ、過去最大量の出土。【奈良県立橿原考古学研究所発表】
2009年
11月
3世紀最大の建物跡 纒向遺跡
(奈良県桜井市)
弥生〜古墳 大型建物跡1棟が見つかる。同時期の建物としては国内最大の面積で、邪馬台国の中枢施設の可能性がある。【奈良県桜井市教育委員会発表】
2008年 ※所在地名は発表当時のものです。
発表
年・月
名  称 所在地 時 代 解  説
2008年
1月
平城宮での地鎮祭の銅銭 平城宮跡東院地区
(奈良県奈良市)
奈良 地鎮具とみられる銅銭や灯明の皿が見つかった。平城宮での地鎮具の発見は初めて。ひもを通した銅銭110枚以上の束の上に、灯明皿(直径19p)が2枚見つかった。工事の無事を祈る地鎮祭で使われたものと考えられている。【奈良文化財研究所発表】
2008年
2月
「石舞台」を超えるドーム石室 真弓鑵子塚(まゆみかんすづか)古墳
(奈良県明日香村)
古墳 横穴式石室の大きさが、「石舞台古墳」をしのぎ、国内最大級規模であるとわかった。石室は奥行き6.5m、幅4.4m、高さ4.7mで、約400個の石をドーム状に積み上げてある。被葬者は渡来系の東漢氏(やまとのあやうじ)や蘇我稲目ではないかとみられる。【奈良県明日香村教育委員会発表】
2008年
2月
黒曜石の発掘坑 高原山黒曜石原産地遺跡群
(栃木県矢板市)
旧石器 黒曜石を探すために掘った深さ1.2mの採掘坑が見つかった。これまで、拾った石など目で見える範囲の石を利用していたと考えられていたが、石器に使う材料を探すための採掘坑跡が見つかったのは初めて。【栃木県矢板市教育委員会発表】
2008年
3月
富本銭に別種 藤原宮跡
(奈良県橿原市)
飛鳥 従来とは書体や厚みの異なるタイプの富本銭が見つかった。地鎮具として使われた須恵器の中に収められており、「富」の部首が「ワ冠」で、ワ冠と口の間の「一」がなかった。鋳造工房であった飛鳥池遺跡出土の富本銭とは別時期、別工房で作られた可能性があるという。【奈良文化財研究所発表】
2008年
4月
「物忌」知らせる札 観音寺遺跡
(徳島県徳島市)
平安 同遺跡付近は阿波国府があったとされる場所。「今日全物忌」(今日は完全に物忌みです)と書かれた札が見つかった。国府にて「物忌札」が発見されたのは初めて。都で盛んだった物忌が、地方でも行われていたことを示す資料として貴重である。【徳島県埋蔵文化財センター発表】
2008年
4月
草仮名が書かれた皿 赤田T遺跡
(富山県射水市)
平安 平仮名の前段階の草仮名が書かれた土器が発見された。皿の裏には「ささつき」「なには」「のみ」などと読める草仮名が書かれている。古代の地方における万葉仮名から草仮名への移行を示す資料として貴重であり、草仮名が書かれた土器としては国内最古とみられる。【富山県射水市教育委員会発表】
2008年
5月
万葉歌が書かれた木簡 宮町遺跡
(滋賀県甲賀市)
奈良 同遺跡は紫香楽宮があった場所。木簡には、『万葉集』16巻に収められた歌の一部が万葉仮名で記されていた。この木簡は8世紀中ごろで、『万葉集』の成立年より前のものとみられる。『万葉集』成立前から、この歌が宮中で広く流布していたことを示す資料である。【滋賀県甲賀市教育委員会発表】
2008年
6月
徳川将軍家「大奥」の副葬品 徳川家墓所
(東京都台東区)
江戸 副葬品として、化粧道具や文房具など1,000点近くが、また現存では最大の墓誌(縦横2.9m)が発見された。化粧道具や文房具以外には、仏具、着物、眼鏡、銀製で金の装飾を施した印籠など、豪華な副葬品が出土した。【寛永寺谷中徳川家近世墓所調査団発表】
2008年
6月
藤原宮跡に旗の支柱跡 藤原宮跡
(奈良県橿原市)
飛鳥 大極殿院南門跡の南側から石を敷き詰めた広場が発見された。そこに、天皇の儀式の際に並べられた旗「幢幡(どうばん)」を立てたとみられる支柱跡が8か所見つかった。『続日本紀』には、大宝元(701)年の正月参賀の際、「幢幡」を7本立てたという記述があり、関係性が指摘されている。【奈良文化財研究所発表】
2008年
8月
東海以東最古級の人物埴輪 西大久手古墳
(愛知県名古屋市)
古墳 5世紀中ごろの人物埴輪が出土した。同時期の人物埴輪は、近畿地方の天皇陵で数例があるだけで、東海地方以東で出土するのは初めて。出土したのは顔部分で、整った表情などから巫女の埴輪ではないかとみられる。【愛知県名古屋市教育委員会発表】
2008年
9月
藤原宮の運河跡 藤原宮跡
(奈良県橿原市)
飛鳥 造営の資材運搬用の運河跡が、総延長500mにおよぶものだったことがわかった。今回見つかった運河跡は、朝堂院の中央広場内にあり、これまで見つかった運河跡3か所とも、すべて南北の同一線上にあることから、大規模な運河であることが判明した。【奈良文化財研究所発表】
2008年
10月
最古の万葉歌木簡 石神遺跡
(奈良県明日香村)
飛鳥 同年5月に発表された紫香楽宮での万葉歌木簡(上記参照)より約60年さかのぼる7世紀後半の最古の万葉歌木簡が見つかった。『万葉集』7巻に収録されていた歌と冒頭部分がほぼ一致している。飛鳥時代に万葉歌が詠まれていたことを示す貴重な資料。【筑波大学 森岡隆准教授の調査】
2008年
10月
新薬師寺の巨大金堂跡@ 奈良教育大学構内
(奈良県奈良市)
奈良 建物の基盤の大きさは、推定東西54m、南北27mで、現存する東大寺大仏殿に匹敵する大きさ。現在の新薬師寺の西150mの場所で見つかった。新薬師寺は、本堂のみが現存し、創建時の伽藍のほとんどが不明であった。創建当時の様子を示す貴重な発見。【奈良教育大学発表】
2008年
11月
百済で作られたの青銅菩薩立像 鞠智城(きくちじょう)遺跡
(熊本県菊池市)
飛鳥 顔立ちの特徴から、7世紀後半に百済で作られたものであることわかった。百済の青銅仏像の国内での発見はこれが初めて。鞠智城は、663年の白村江の戦いに敗れたあとに築城されたとされ、築城の際、百済からの渡来人によってもたらされたものではないかと考えられている。【熊本県教育委員会発表】
2008年
11月
新薬師寺の巨大金堂跡A 奈良教育大学構内
(奈良県奈良市)
奈良 同年10月の発表(上記参照)ののち、基盤の大きさが従来よりも14m長い、推定東西68mであることがわかった。また、仏像の一部とみられる遺物も見つかり、962年に金堂が倒壊した際に下敷きになったものと考えられている。【奈良教育大学発表】
2007年 ※所在地名は発掘・発見当時のものです。
発掘・発見
年・月
名  称 所在地 時 代 解  説
2007年
1月
最古の落とし穴跡 大津保畑遺跡
(鹿児島県中種子町)
旧石器 約3万年前の国内最古の落とし穴跡12基が発見された。 落とし穴は、動物を捕獲するために作られたものであり、昔の人々はイノシシやシカの通り道に落とし穴を作って、狩りをしていたと考えられている。 【鹿児島県立埋蔵文化財センター発表】
2007年
2月
最古級の筆書き赤漆文様 今宿五郎江遺跡
(福岡県福岡市)
弥生 装飾された木製短甲、木製飾板や漆器が出土した。 類例も少なくきわめて貴重な遺物である。 木製短甲には蕨の先端状の文様が刻まれ、漆器は黒漆の上に赤漆で筆書き極細の線で文様が描かれている。 【福岡市埋蔵文化財センター発表】
2007年
3月
横穴式石室の基盤の石組み遺構 今城塚古墳
(大阪府高槻市)
古墳 継体天皇の墓とされる今城塚古墳で、横穴式石室の基礎となるコの字形の大規模な石組み遺構が出土した。 天皇陵級の古墳で横穴式石室の基礎部分が確認されたのは初めて。 【大阪府高槻市教育委員会発表】
2007年
3月
最古級の「石囲い木槨墓」 萩原2号墓
(徳島県鳴門市)
弥生 国内最古の石積み墳丘墓。 石積みの内側に木材を立てた墓室「石囲い木槨」の痕跡も全国2例目として確認された。 木槨は棺を保護する木の部屋で、中国や朝鮮に起源を持つ。 【徳島県教育委員会発表】
2007年
3月
仮面のような木製品 東名遺跡
(佐賀県佐賀市)
縄文 人の顔を思わせる木製品が見つかった。 人の顔をあしらった木の彫刻品であればこの時代に類例がない。 また眉や鼻など特徴部分を強調する原始美術に似ていて、宗教的な儀式の際に使われたのだろうと分析されている。 【佐賀県佐賀市教育委員会発表】
2007年
4月
約3万5千年前の石器 高原山の黒曜石産地跡
(栃木県矢板市)
旧石器 原石を求めて山に登り、効率よく石器に加工していた可能性が高い。 拾った石を加工していたというイメージを一変させ、旧石器時代の人々の知的レベルの高さを示す画期的な発見。 【栃木県矢板市教育委員会発表】
2007年
6月
平城京の十条大路 下三橋遺跡
(奈良県大和郡山市)
奈良 平城京の最南端に当たる「十条大路」の遺構が初めて確認され、平城京は「南北九条」という従来の定説を覆し、その前の藤原京と同様、「十条」で計画されたことが明らかになった。 【奈良県大和郡山市教育委員会発表】
2007年
8月
約4千年前の丸木舟5艘 ユリ遺跡
(福井県若狭町)
縄文 ユリ遺跡は、三方湖の周辺にある遺跡で、縄文時代後期の層から丸木舟が5艘まとまって発見された。 同遺跡の丸木舟は計9艘となった。 これだけの多くの発見例は日本海側では例がない。 【福井県埋蔵文化財調査センター発表】
2007年
9月
一部が金銅製の馬具3組 中村1号墳
(島根県出雲市)
古墳 馬具3組のうち2組は金メッキで装飾されていて、儀式に用いたもので、もう1組は金メッキはなく実用的に使用したもの。 一つの石室から3組の馬具が出土した例は中四国地方で初めて。 【島根県出雲市文化財課発表】
2007年
9月
「太閤堤」の護岸跡 乙方遺跡
(京都府宇治市)
安土桃山 豊臣秀吉が伏見城を築城した際に宇治川に築いた総延長12キロの大堤防「太閤堤」の一部とみられる石積みの護岸跡が見つかった。 太閤堤が広範囲に出土したのは初めて。 【京都府宇治市歴史資料館発表】
2007年
9月
呪術用?最古の木製仮面 纏向遺跡
(奈良県桜井市)
弥生〜古墳 国内最古の木製仮面が出土した。 これまでの例を400年さかのぼる。 盾などを手に面をつけて踊る呪術師の姿を彷彿とさせ、古代祭祀の具体像を知る一級資料で、農耕儀礼や鬼追いのルーツとの見方も出ている。 【奈良県桜井市教育委員会発表】
2007年
9月
最古の売券木簡 延命寺遺跡
(新潟県上越市)
奈良 田畑の賃貸借を公認する国内最古の売券木簡が見つかった。 木簡は深さ約1.5メートルの地層から発見され、天平7(735)年の記載があり、国内最古の木簡とわかった。 【新潟県埋蔵文化財調査事業団発表】
2007年
10月
東日本初、ほぼ完全型の銅戈 柳沢遺跡
(長野県中野市)
弥生 銅戈の出土例は、九州北部を中心に近畿にかけて110例あるが東日本では完全な形での出土は初めて。 弥生時代に信州を中心とする文化圏があったとも考えられる貴重な発見。 【長野県埋蔵文化財センター発表】
2007年
11月
末盧国王墓再確認 桜馬場遺跡
(佐賀県唐津市)
弥生 同遺跡は1944年住民が発見したが、調査後の埋め戻しで所在が不明になっていた。 今回の調査で、最高権力者の大刀など豪華な副葬品が数多く見つかり、弥生時代のクニ「末盧国」の王墓と裏付けられた。 【佐賀県唐津市教育委員会発表】
2007年
12月
銅鐸リサイクルの工房跡 脇本遺跡
(奈良県桜井市)
古墳 銅鐸の破片や、銅鐸とは違う鋳型などがまとまって出土した。 弥生時代の祭祀に使われた銅鐸を、古墳時代になって壊し、別の青銅器製品に仕立てたリサイクル工房とみられる。 こうした工房跡は全国でも例がない。 【奈良県立橿原考古学研究所発表】
2006年 ※所在地名は発掘・発見当時のものです。
発掘・発見
年・月
名  称 所在地 時 代 解  説
2006年
1月
聖徳太子弟、来目皇子の墓 塚穴古墳
(大阪府羽曳野市)
飛鳥 大規模な外堤が出土した。 外堤に囲まれた墓域は100メートル四方と推定され、奈良県明日香村の石舞台古墳と同規模。 トップクラスの人物の墓だったことが裏付けられ、来目皇子の墓である可能性が強まった。 【大阪府羽曳野市教育委員会発表】
2006年
2月
古代の「霊柩船」 巣山古墳
(奈良県広陵町)
古墳 表面に文様が刻まれ、朱が塗られた前例のない形状の木製品が出土した。 船の形に復元できることから、古墳まで遺体を運んだ「霊柩船」の一部と専門家は見ている。 古代の葬送儀礼を解明する上できわめて重要な発見。 【奈良県広陵町教育委員会発表】
2006年
3月
天武・持統天皇の居所跡 飛鳥京跡
(奈良県明日香村)
飛鳥 飛鳥浄御原宮の「内安殿」とみられる大型建物跡が出土した。 この発掘で天武・持統天皇の居所だった内裏中枢部の全容が判明した。 これで日本書紀が伝える浄御原宮の主な建物跡が全て確認された。 【奈良県立橿原考古学研究所発表】
2006年
3月
「観世音経」と記された木簡 石神遺跡
(奈良県明日香村)
飛鳥 679(天武8)年を示す年号が書かれており、観世音経(観音経)の存在を示す最古の資料。 天武天皇の病気平癒のため、同経を読ませたという日本書紀の記述から伺える当時の観音経の流行を裏付けるもので、日本の仏教史上重要な発見。 【奈良文化財研究所発表】
2006年
3月
役人の身元照会書木簡 観音寺遺跡
(徳島県徳島市)
奈良 朝廷が官人登用に際して国府との間で行った身元照会の手続き「勘籍」が記された8世紀の木簡が初めて出土した。 朝廷への下書きとみられ、律令国家による地方支配の詳細を解明する上で、貴重な史料。 【徳島県埋蔵文化財センター発表】
2006年
6月
創建法隆寺彩る壁画片 創建法隆寺
(奈良県斑鳩町)
飛鳥 2004年12月国内最古の彩色壁画片が見つかった斑鳩町の法隆寺で、同じ絵の一部とみられる断片約80点が新たに出土した。 樹木らしい図柄が初めて見つかるなど、仏教絵画とみられる壁画の全体像を知る手がかりが得られた。 【奈良県斑鳩町教育委員会発表】
2006年
7月
最古級壁画確認 安倍寺跡
(奈良県桜井市)
飛鳥 11年前に出土した壁土が国内最古級の彩色壁画だったことがわかった。 絵柄は不明だが、赤系顔料のベンガラの跡などがあり、創建法隆寺についで古いとみられる。 壁画片は5点でいずれも高温で焼けて変色していた。 【奈良県桜井市立埋蔵文化財センター発表】
2006年
8月
最古級の鞍 蔀屋北遺跡
(大阪府四條畷市)
古墳 黒漆が塗られた最古級の木製鞍(5世紀中頃)が出土した。 蔀屋北遺跡では、これまで鐙と轡が見つかっており、古墳時代の集落遺跡から実用品の主要な馬具が3点セットで出土されるのは初めて。 当時の馬文化の実態が鮮明に。 【大阪府教育委員会発表】
2006年
9月
縄文時代の石器「石冠」 近野遺跡
(青森県青森市)
縄文 人物を表現したとみられる線刻が描かれている石冠が出土した。 人物画のある縄文時代の遺物は珍しく、特に石棺から複数の人物画が見つかるのは国内初。 縄文人の人物表現を知る上で、今後の基準史料となる重要な発見。 【青森県埋蔵文化財調査センター発表】
2006年
10月
「吉祥天女」など板絵 山持遺跡
(島根県出雲市)
奈良〜平安 墨で描かれた唐風の衣装を着た女性や「吉祥天女」とみられる古代の板絵4点が見つかった。 平安初期以前の女性全身像の出土は、高松塚古墳壁画以外に例が少なく、仏教の地方への浸透ぶりや当時の風俗を知る貴重な発見。 【島根県埋蔵文化財調査センター】
2006年
11月
飛鳥寺講堂支えた礎石 飛鳥寺跡
(奈良県明日香村)
飛鳥 講堂の土台となる礎石が50年ぶりに四つ出土した。 長径1.2〜1.6メートルで上に据えた柱の太さは60センチ程度とみられ、講堂の規模が判明した。 古代飛鳥の寺院では最大級の礎石。 造営したと伝えられる蘇我氏の権勢が改めて裏付けられた。 【奈良文化財研究所発表】
2006年
11月
最古級の絵馬 日笠フシンダ遺跡
(奈良県奈良市)
奈良 天平10(738)年の木簡とともに大型の絵馬が見つかった。 年代のわかっている古代の絵馬としては最大、最古級。 当時、都を襲った干ばつや疫病を封じる祭祀に関連するとみられる。 当時の信仰や精神を知る成果として注目される。 【奈良県立橿原考古学研究所発表】
2006年
11月
寺が僧に禁制の酒 西大寺食堂院跡
(奈良県奈良市)
平安 寺での米や酒、野菜の出し入れなどを記した平安時代の木簡が出土した。 禁制だったはずの酒をたしなむなど、当時の僧侶の食生活が伺える。 また、中には栗拾いに行った使いにご飯1升を支給した内容や、カブラを漬けた者にご飯1斗1升を支給した記録もある。 【奈良文化財研究所発表】
2006年
12月
表の顔、裏の顔「二面相埴輪」 岩橋千塚古墳群
(大日山35号墳)
(和歌山県和歌山市)
古墳 前後両面に顔のある人物埴輪の頭部が出土した。 二つの顔を持つ人物の埴輪は全国で初めて。 古墳を守る呪術集団などを表すのではないかと見る専門家もおり、古代の人々の死生観や祭事を推定する史料となりそう。 【和歌山県教育委員会発表】
2005年 ※所在地名は発掘・発見当時のものです。
発掘・発見
年・月
名  称 所在地 時 代 解  説
2005年
1月
貝の腕輪を模した土製品 朝日遺跡
(愛知県清須市)
弥生 貝の腕輪「貝輪」をかたどった土製品の破片が出土した。実用品ではなく、儀式の道具ではないかとみられている。出土は全国で2例目。【愛知県埋蔵文化財センター発表】
2005年
2月
エキゾチックな顔立ちのレリーフ 二光寺廃寺
(奈良県御所市)
飛鳥 7世紀末白鳳期の寺院の金堂とみられる建物跡から、粘土を焼いた仏像の土製レリーフが出土した。異国風の顔立ちの群像もあり、白鳳期の国際色豊かな美術を象徴する発見として注目される。【橿原考古学研究所発表】
2005年
3月
陶器の枕を飾る獅子の頭 平安京跡
(京都府京都市)
平安 陶器の枕の飾りとみられる獅子の頭がみつかり、中国・唐代に製造され遣唐使が持ち帰ったと考えられる。獅子形枕の国内での出土は初めて。【古代学協会・古代学研究所発表】
2005年
3月
埋葬者は50代男性? キトラ古墳
(奈良県明日香村)
古墳 キトラ古墳の石室で出土した人骨や歯を鑑定した結果、被葬者は50歳代の男性の可能性が高くなった。年齢や性別が絞り込まれたのは初めてで、被葬者の特定に結びつく手がかりとして注目される。【文化庁発表】
2005年
5月
西日本最大級の貝塚 東名遺跡
(佐賀県佐賀市)
縄文 貝塚が発見された東名遺跡は、縄文時代は河口付近だったとみられる。貝塚からは貝類、魚の骨に混じって木編みのカゴもみつかっている。縄文時代早期の貝塚としては、西日本最大級。【佐賀市教育委員会調査】
2005年
5月
国内最古のガラス玉 井原鑓溝遺跡
(福岡県前原市)
弥生 中国の史書「魏志倭人伝」に登場する伊都国があったとされる福岡県で、国内最古の鉛ガラスが発見された。ドーナッツ状の玉が連なった形で、国産か渡来品かは不明。【福岡市埋蔵文化財センター発表】
2005年
7月
キトラ古墳「午」全容判明 キトラ古墳
(奈良県明日香村)
古墳 壁画は石室南壁のしっくいから、表側を覆っていた薄い粘土層に転写されていた。写実的に描かれた馬の顔立ちや、衣服の鮮やかな赤がみえる。【文化庁発表】
2005年
7月
埴輪と同じ建物が存在? 極楽寺ヒビキ遺跡
(奈良県御所市)
古墳 2月に確認されていた大型建物跡に、長方形の板状の柱が使われていたことが判明した。御所市の宮山古墳出土の家形埴輪と柱の形が一致しており、埴輪が実際の建物を再現した可能性が高いとみられている。【橿原考古学研究所発表】
2005年
8月
安土城門外に広場 安土城大手門跡前
(滋賀県能登川町)
安土桃山 安土城南側の大手門跡前で、大規模な広場が発見された。大手門の南約44メートルのところに一直線に並ぶ石垣が4箇所発見されたことから、広場は推定東西100メートル南北44メートルとされる。戦国時代の城としては例がないことから、信長が天皇を出迎えるために設けたのでは、とみられる。【安土城郭調査研究所発表】
2005年
8月
黒曜石の加工跡 高原山
(栃木県矢板市)
旧石器 高原山山頂付近で、黒曜石を加工した跡とみられる遺跡が発見された。高原山は黒曜石の産地として知られてきたが、加工跡がみつかったのは本州では初めて。【矢板市教育委員会発表】
2005年
9月
最古の石組み人工池 観覚寺遺跡
(奈良県高取町)
古墳 古代渡来系豪族の東漢氏の拠点集落とされる観覚寺遺跡で、石組みの人工方形池跡が出土した。縁は人の頭ほどの石で組まれ、底にも石が敷かれていた。近くから建物跡がみつかっていることから、生活に使う水をためる池だったとみられている。【高取町教育委員会発表】
2005年
9月
阿弥陀如来坐像の台座からガラス玉 平等院鳳凰堂
(京都府宇治市)
平安 平等院鳳凰堂の阿弥陀如来坐像の台座から、螺鈿やガラス玉などがみつかった。坐像の上の天蓋に飾られていた装飾品の一部とみられ、外れたか外した後に紛失しないよう台座に納められたらしい。平安時代のきらびやかな装飾のようすがうかがえる資料である。【平等院発表】
2005年
10月
長岡京に楼閣の跡 朝堂院南面
(京都府向日市)
奈良 長岡京の主要施設「朝堂院」で楼閣の跡が確認された。桓武天皇が権威を高めるため、唐の建築様式を取り入れたとみられる。平安遷都への「副都」という見方は見直され、本格的な都として造られたことがうかがえるとされる。【向日市埋蔵文化財センター発表】
2005年
11月
国内最古の木製食器皿 東名遺跡
(佐賀県佐賀市)
縄文 2005年5月に縄文時代初期の貝塚がみつかった東名遺跡から、約7000年前のものとみられる木製食器が出土した。両側に取っ手がある皿など5点が発見され、材質は現在調査中。【佐賀市教育委員会発表】
2005年
11月
蘇我入鹿邸跡? 甘樫丘東麓遺跡
(奈良県明日香村)
飛鳥 掘立て柱建物5棟や堀の遺構がみつかり、蘇我入鹿の邸宅跡の可能性が高いとみられる。建物が甘樫丘を造成して建てられ、焼けた壁材や木材などがみつかったことから、「日本書紀」の記述を裏付けるものとして注目されている。【奈良文化財研究所発表】
2004年 ※所在地名は発掘・発見当時のものです。
発掘・発見
年・月
名  称 所在地 時 代 解  説
2004年
2月
人物像が描かれた大刀 吉備塚古墳
(奈良県奈良市)
古墳 刀や飾りに神をイメージしたとみられる人物像や龍、虎の銀象嵌を施した鉄製環頭大刀が出土した。人物像が描かれた大刀の出土は国内初。【奈良教育大古墳調査委員会発表】
2004年
3月
天武天皇の正殿? 飛鳥京跡
(奈良県明日香村)
飛鳥 天武天皇の宮殿「飛鳥浄御原宮」の正殿とみられる大型高床式建物跡と、精巧な石敷き広場が発見された。【橿原考古学研究所発表】
2004年
3月
蘇我馬子邸宅跡? 島庄遺跡
(奈良県明日香村)
飛鳥 大小9棟以上の掘っ立て柱建物跡が出土した。その規模から蘇我馬子の邸宅跡とみられる。【明日香村教育委員会発表】
2004年
3月
土器に「久」の文字 市野谷宮尻遺跡
(千葉県流山市)
古墳 表面に「久」と読める文字が筆で書かれた、古墳時代前期の土器がみつかった。三重県の貝蔵遺跡で発掘された最古の墨書に匹敵する、早い段階の文字ではないかとされる。【千葉県教育委員会発表】
2004年
4月
矛を持つトラ像 キトラ古墳
(奈良県明日香村)
古墳 文化庁による本格調査で、初めて壁画を赤外線撮影した画像や新たな正面画像を公開した。それにより、東壁に描かれたトラ像は、矛を持っていたことが判明した。【文化庁発表】→奈良新聞
2004年
4月
藤原不比等邸宅跡? 法華寺境内
(奈良県奈良市)
飛鳥 法華寺南門付近で旧講堂の基壇とみられる盛り土や凝灰岩などが出土し、その下から宮殿並みの大きさの柱穴(直径約1メートル)がみつかった。「続日本紀」などの記述から、藤原不比等の邸宅跡の一部とみられる。【奈良文化財研究所調査】
2004年
5月
壁画から西アジア産の絵の具 高松塚古墳
(奈良県明日香村)
飛鳥 古墳の壁画に、西アジア産の「ラピスラズリ」を含む絵の具が使用されていたことがわかった。シルクロードから中国を経由した東西の広い交流を実証する資料として注目されている。【東京文化財団調査】→飛鳥資料館
2004年
5月
鉄やじりと人骨 林ノ前遺跡
(青森県八戸市)
平安 約200点の鉄やじりと埋葬されていない10体の人骨が出土した。平地を避けてつくられた集落が、敵の襲撃に備えたものだったことが確定的になった。【青森県埋蔵文化財センター調査】
2004年
6月
被葬者?の骨と歯 キトラ古墳
(奈良県明日香村)
古墳 石室内から被葬者のものとみられる人の頭の骨の一部や、歯などが出土した。鑑定すれば年齢や性別が判明する可能性がある。【文化庁発表】
2004年
7月
伊能忠敬の地図 江戸 「大日本沿海輿地全図」の大図のうち、所在不明だった4枚が海上保安庁の保管庫で発見された。これで214枚全部が揃い、地図の全容が明らかになった。
2004年
9月
墳丘全面に張り石された方墳 ドント垣内古墳群
(奈良県御所市)
古墳 水田下からみつかった3基の古墳のうち、墳丘が残っていた1基が石で覆われていた。墳丘全面を石で覆う例は極めて珍しい。【橿原考古学研究所発表】
2004年
9月
大刀の鞘に七星模様 武蔵府中熊野神社古墳
(東京都府中市)
古墳 七つの星(七曜)の模様などが刻まれた、鉄地の大刀の鞘尻が発見された。国内最古の銅銭とされる「富本銭」などでも同じ模様が描かれているが、鞘尻に施されているのは初めて。【府中市教育委員会発表】
2004年
11月
計画的配列の建物群 池上曽根遺跡
(大阪府和泉市・泉大津市)
弥生 弥生時代の環濠集落から、東西に計画的に配列された倉庫と推定される高床式建物跡が4棟発見された。方位を意識して整然と並べられた建物群の配置が確認された最古級の例。【大阪府文化財センター発表】
2004年
12月
高温で変色した最古の壁画片 法隆寺
(奈良県斑鳩町)
飛鳥 日本書紀に記される670年の火事で焼失した、寺の金堂や壁画とみられる破片約60点が出土した。壁画片は約1000度以上の高温にさらされていることがわかり、焼失・再建説を裏付ける物証ともなった。【斑鳩町教育委員会発表】
2004年
12月
「区画」された建物群 下之郷遺跡
(滋賀県守山市)
弥生 環濠集落の中心部に、都市計画をうかがわせる大型建物跡群が出土した。今回出土した掘っ立て柱建物跡3棟と、4年前に発見された遺構と合わせて計5棟が区画されていた。【守山市教育委員会発表】
2003年 ※所在地名は発掘・発見当時のものです。
発掘・発見
年・月
名  称 所在地 時 代 解  説
2003年
1月
鎌倉の廃寺から庭園跡みつかる 無量寺廃寺跡
(神奈川県鎌倉市)
鎌倉 無量寺廃寺跡から、岩盤をくり抜いて池にしたとみられる庭園跡がみつかった。これは、禅宗庭園の祖といわれる夢窓国師が造営した「瑞泉寺庭園」とほぼ同じ特徴を持っているが、造営年代は瑞泉寺より数十年古いと見られる。【無量寺跡発掘調査団発表】
2003年
2月
唐招提寺の邪鬼は創建当初のもの 唐招提寺
(奈良県奈良市)
奈良 唐招提寺金堂の軒下に据えられている木彫りの邪鬼が、寺の創建時当初のものであることが分かった。邪鬼とは鬼瓦と同様に、魔除けの意味をこめて軒下に据えられているもの。唐招提寺の邪鬼は、従来中世以降の製作と考えられていたが、年輪年代法による調査で、8世紀後半の創建当初のものと分かった。【奈良文化財研究所調査】
2003年
2月
弥生時代最大規模の竪穴建物跡 伊勢遺跡
(滋賀県守山市)
弥生 一辺13.6メートル、面積185平方メートルに及ぶ方形の竪穴建物跡がみつかった。弥生時代の方形建物跡では国内最大規模のもの。この建物は大きな屋根を支える棟持ち柱が立っていたと見られ、強大な権力を持つ首長の居館か祭儀場であった可能性があるという。【守山市教育委員会発表】
2003年
2月
日本最古のカレンダー 石神遺跡
(奈良県明日香村)
飛鳥 表裏に689年の3・4月の暦を記した木簡がみつかった。暦は「具注暦」とよばれるもので、毎日の吉凶が記されており、国内最古のカレンダーである。木簡は本来横長の板だったと見られ、後に円形に削ってふたとして使用されていたと思われる。【奈良文化財研究所発表】
2003年
3月
祭祀用の縄文ワイン 分谷地A遺跡
(新潟県黒川村)
縄文 ヤマザクラをくり抜いた黒色漆塗りの水差しに、縄文時代の果実酒の痕跡が残っていることが分かった。水差しは祭祀用の酒器の可能性が高く、縄文時代に酒が祭祀用に用いられたことを裏付ける資料としては全国で初めてだという。【黒川村教育委員会発表】
2003年
3月
金製の永楽通宝発見 萩藩毛利家屋敷跡遺跡
(東京都港区)
江戸 直径2.5センチの金製の永楽通宝2枚が出土した。永楽通宝は通常銅製で、室町〜江戸初期にかけて流通した明銭である。金製の永楽通宝は、豊臣秀吉が鋳造し、恩賞として大名に与えられたと伝えられている。【東京都埋蔵文化財センター
2003年
4月
重文級の水墨画発見 壷阪寺
(奈良県高取町)
安土桃山 壷阪寺所蔵の屏風絵「群馬図」が、安土桃山時代に活躍した水墨画家・雲谷等顔筆によるものであることが分かった。同作品が重要文化財級の価値のある作品だという。【京都国立博物館鑑定】
2003年
4月
菊の御紋入りの陶磁器出土 京都御苑
(京都府京都市)
江戸 天皇家の紋である「菊の御紋」入りの陶磁器が大量に発掘された。みつかった陶磁器は有田焼の碗や皿300点以上で、当時天皇家が公家に下賜した品物とみられる。【京都市埋蔵文化財研究所発表】
2003年
4月
国宝「本願寺本三十六人歌集」の欠落断簡を発見 茨城県内の旧家 平安 これまで存在が未確認だった歌人・藤原兼輔の歌集を書写した「兼輔集」の断簡がみつかった。茨城県内の旧家の蔵からみつかったという。【大東文化大学・高城弘一助教授鑑定】
2003年
5月
7世紀の石敷き遺構みつかる ホラント遺跡
(奈良県明日香村)
飛鳥 石を敷きつめた大規模な施設跡がみつかった。宮殿と同格の格の高い役所か豪族の館ではないかとみられている。出土土器などから、7世紀後半に建てられた施設跡ではないかと推定される。【奈良県橿原考古学研究所発表】
2003年
5月
弥生時代500年さかのぼる? 弥生 国立歴史民俗博物館の研究グループが、日本の稲作開始起源が定説より約500年さかのぼるという研究結果を発表した。九州北部や朝鮮半島南部から出土した土器などからススを採取し、最新の放射性炭素(14C)年代特定法で分析した結果、弥生時代の始まりは紀元前1000年ごろという結論を出した。しかしこの発表には異論も多く、今後さらなる研究が求められている。【国立歴史民俗博物館発表】
2003年
5月
古墳時代の大規模集落 下田遺跡
(大阪府堺市)
古墳 竪穴住居跡44棟、高床式倉庫21棟の建物跡が発見された。同時にみつかった土器の形状から、4世紀ごろの大規模集落とみられ、当時200人程度が生活していたものと考えられる。【堺市教育委員会発表】
2003年
6月
藤原京の中ツ道みつかる 藤原京跡
(奈良県橿原市・桜井市)
飛鳥 古代の幹線道路である「中ツ道」が発見された。道幅は25メートルにも及び、現在の名神高速道路に匹敵する幅だという。中ツ道は壬申の乱(672年)の際に使用された道で、日本書紀にも記されている。【橿原市教育委員会発表】
2003年
6月
西南戦争で使用された?拳銃出土 熊本城本丸御殿跡
(熊本県熊本市)
明治 西南戦争で使用されたとみられる拳銃1丁がみつかった。拳銃には銃弾1発も残っていたという。西南戦争時、熊本城には熊本鎮台司令長官の谷干城が立てこもっており、拳銃がみつかった本丸御殿跡は熊本鎮台の執務室があった場所の可能性もあるという。【熊本市教育委員会発表】
2003年
7月
馬の全身骨格出土 蔀屋北遺跡
(大阪府四条畷市)
古墳 集落跡から埋葬された馬の全身骨格が出土した。馬の骨は古墳内から出土されることが多く、集落内から出土した例は今回が初めてだという。【大阪府教育委員会発表】
2003年
7月
法隆寺再建説裏付け 法隆寺
(奈良県斑鳩町)
法隆寺五重塔に663年頃伐採された木が使われていたことが分かった。法隆寺は507年の創建当時のままという説と、『日本書紀』に記述がある670年の焼失後に再建されたという説で意見が分かれていた。今回の発表で焼失年に近い年の木材がみつかったため、法隆寺再建説を裏付けるものとなった。【奈良文化財研究所調査】
2003年
8月
勝海舟あての書簡みつかる 東京都多摩市 幕末〜明治 幕臣出身で、のちに東京府知事にもなった大久保一翁(忠寛)ら明治維新に活躍した人物たちが、勝海舟にあてた書簡など30数点がみつかった。幕末から明治維新という激動の時代を伝える貴重な資料だという。【多摩市文化財団調査】
2003年
8月
西郷隆盛の真の肖像画? 大分県日田市 明治 幕末から明治に日田で活躍した文人画家・平野五岳による西郷隆盛の肖像画がみつかった。肖像画は掛け軸に描かれ、平野五岳が西郷に面会を申し込む内容の漢詩も記されている。これまでみつかっている西郷隆盛の肖像画は伝聞をもとに描かれたものといわれ、今回みつかった肖像画は面会した本人によって描かれたものとみられ、貴重な資料といえる。【大谷大学・河内昭圓教授調査】
2003年
9月
箸墓古墳と同時期の古墳? ノムギ古墳
(奈良県天理市)
古墳 大和政権の古墳が集中する大和古墳群のうちの一つであるノムギ古墳が、前方後方墳であることが分かった。大和古墳群は前方後円墳がほとんどで、前方後方墳は数基しかなく、4世紀ごろの築造と考えられている。ノムギ古墳は箸墓古墳と同時期の3世紀後半ごろの築造とみられる。【奈良県立橿原考古学研究所発表】
2003年
9月
最大規模のサヌカイト採掘跡 サカイ・平地山両遺跡
(奈良県香芝市)
縄文〜弥生 国内最大のサヌカイトの採掘跡がみつかった。サヌカイトとはガラス質の岩石で、石器の原石として約1万年にもわたって採掘されたと見られる。同遺跡から採掘抗が数百か所みつかっている。【香芝市教育委員会発表】
2003年
9月
良質な勾玉が出土 唐古・鍵遺跡
(奈良県田原本町)
弥生 弥生時代のものとしては最良質のヒスイ製勾玉2点が出土した。ヒスイは新潟県の糸魚川産とみられる。勾玉は、祭祀用の目的で、地中に納めたものとされる。【田原本町教育委員会発表】
2003年
10月
水鳥の埴輪 巣山古墳
(奈良県広陵町)
古墳 巣山古墳の周濠に出島があることが分かり、遺構から、精巧につくられた水鳥の埴輪や家形埴輪など約30点がみつかった。これらの埴輪は被葬者の権力を誇示するために造られたものとみられている。【広陵町教育委員会発表】
2003年
10月
最古級の木彫りの神像出土 青木遺跡
(島根県出雲市)
奈良〜平安 奈良時代後期から平安時代前期ごろの木彫りの神像が発見された。神像は冠をかぶり、笏を持っていることから、役人の姿を模しているものとみられる。【島根県埋蔵文化財調査センター発表】
2003年
10月
弥生時代最大級の柱 唐古・鍵遺跡
(奈良県田原本町)
弥生 大型建物の柱穴跡23個と、柱の一部18本がみつかった。柱のうち、最大のものは直径80センチにもなり、弥生時代の遺跡としては国内最大級の発見となった。【田原本町教育委員会発表】
2003年
11月
木簡の「売田券」みつかる 青木遺跡
(島根県出雲市)
奈良 木簡としては国内初の発見となる「売田券」がみつかった。「売田券」は当時の水田売買の際に用いられる文書で、木簡に書かれていたものは例がなかった。木簡には、「借りたもみに利息をつけて返せなかったため、水田で納めた」という内容が書かれている。【島根県埋蔵文化財調査センター発表】
2003年
11月
大坂の陣を物語る頭蓋骨 大阪府警本部旧庁舎跡
(大阪府大阪市)
江戸 大坂冬の陣(1614年)のあと、大阪城の堀を埋め立てた際に投げ込まれたと思われる頭蓋骨6個がみつかった。頭蓋骨には、複数の殺傷痕があり、当時の戦の激しさをものがたっている。【大阪府文化財センター調査】
2003年
11月
国内最古の定規 石神遺跡
(奈良県明日香村)
飛鳥 7世紀後半ごろの国内最古とみられる定規が出土した。役人が公文書を書く際に行間をそろえるために用いられたとみられ、等間隔の目盛りが入っている。【奈良文化財研究所発表】
2003年
12月
最古級の「上円下方墳」 熊野神社本殿北側の丘
(東京都府中市)
古墳 7世紀後半までに築造されたとみられる「上円下方墳」がみつかった。「上円下方墳」は古墳時代末期に天皇家や有力豪族の間で築造されたものとみられているが、当時の府中市周辺にはこれまで有力豪族はいないとされてきた。しかし今回の発見で、7世紀後半ごろには、府中にも有力豪族が存在したことを裏付けるものとなった。【府中市教育委員会調査】
2003年
12月
赤穂浪士の討入り・最古の「浮世絵」? 立命館大学
(京都府京都市)
江戸 立命館大学の収集品の中から、国内最古とみられる赤穂浪士の討入りの「浮世絵」がみつかった。作品は討入りの9年後(1711年)に描かれたとみられ、赤穂浪士たちは、当時の人気歌舞伎役者に顔を似せて描かれているという。【立命館大学・赤間亮教授調査】
2003年
12月
国内最古級の旧石器 入口遺跡
(長崎県平戸市)
旧石器 約9万〜10万年前のものとみられる旧石器27点がみつかった。これまで国内最古といわれてきた岩手県金取遺跡の石器と並ぶ最古級の石器である。【平戸市教育委員会発表】
2002年 ※所在地名は発掘・発見当時のものです。
発掘・発見
年・月
名  称 所在地 時 代 解  説
2002年
1月
最古級の十二支像 キトラ古墳
(奈良県明日香村)
飛鳥 2001年12月からの調査で、文化庁は、キトラ古墳石室東壁から、トラとみられる顔に武人の衣装を着た「獣頭人身像」が新たにみつかったと発表した。獣頭人身像は青龍の左下に描かれており、被葬者の守護神とみられる。古墳壁画としては東アジア最古のもの。【文化庁発表】
2002年
1月
天平の宝物300点が出土 興福寺
(奈良県奈良市)
奈良 興福寺中金堂の仏像を安置する須弥壇の下から、水晶玉や金板など約300点の宝物が出土した。これらは、奈良時代初めの興福寺創建時に地鎮めの儀式で埋められた「鎮壇具」の一部とみられる。【奈良文化財研究所・興福寺発表】
2002年
1月
豊作を願う?家形土器が出土 鳥居松遺跡
(静岡県浜松市)
弥生 環濠集落跡から家形土器の壺がほぼ完全な形で出土した。家をかたどった土器はこれまでに7例みつかっているが、壺状のものは2例目で、今回のものはそれらの中でも最古級とみられる。【浜松市教育委員会発表】
2002年
2月
飛鳥京跡の大池は南北200メートル 飛鳥京跡苑池遺構
(奈良県明日香村)
飛鳥 大池の北端となる護岸が出土し、飛鳥京跡の大池は南北200メートルにもなることが確定した。大池は、天武天皇らが遊んだ「白錦後苑」内の池とみられている。【奈良県立橿原考古学研究所発表】
2002年
2月
天文図にカラスの絵? キトラ古墳
(奈良県明日香村)
飛鳥 天井に描かれている天文図の日輪(太陽)内にカラスとみられる像が描かれていることが明らかになった。古代中国では日輪にカラスが住んでいるといわれ、大陸の思想が強く影響しているものと考えられる。【キトラ古墳保存・調査研究委員会 河上委員分析】
2002年
2月
サルの足?4本足の動物埴輪 今城塚古墳
(大阪府高槻市)
古墳 真の継体天皇陵といわれる今城塚古墳で動物の足とみられる埴輪が2点みつかった。5本の指があることから、サルをかたどった珍しい埴輪ではないかと考えられている。【高槻市教育委員会発表】→高槻市「インターネット歴史館」
2002年
3月
巨勢氏の墓?巨大石室と石棺 條ウル神古墳
(奈良県御所市)
古墳 奈良県明日香村の石舞台古墳に匹敵する巨大な横穴式石室や石棺がみつかった。墳丘は原型をとどめていないが、100メートル以上と推定される。被葬者は有力豪族の巨勢氏ではないかみられる。【御所市教育委員会発表】
2002年
3月
縄文時代に金属武器使用? 居徳遺跡群
(高知県土佐市)
縄文 縄文時代晩期の遺跡から、矢じりの貫通した人骨や金属器で切られた痕跡のある人骨が発見された。金属製武器を使った痕跡としては国内最古で、集団同士の戦闘行為の痕跡だと発表。しかし、研究者の中には「金属武器の普及はあり得ない時期」として慎重な意見もあり、議論を呼びそうである。【奈良文化財研究所発表】
2002年
3月
最古級の定住集落跡 窪A遺跡
(静岡県芝川町)
縄文 縄文草創期(1万1000年前)の定住集落跡がみつかった。調理に使用されたとみられる集石遺構や祭祀跡とみられる配石遺構なども出土した。土器や石器の出土は2万点以上にのぼる。【芝川町教育委員会発表】
2002年
3月
最古の女性肖像画 建仁寺
(京都府京都市)
室町 最古の女性単独の肖像画「総持正傑大師像」が発見された。1379年に描かれたもので、モデルは豊後守護の大友氏泰の母とみられている。【建仁寺】
2002年
4月
天文図に「北極五星」 キトラ古墳
(奈良県明日香村)
飛鳥 天井に描かれている天文図に、「北極五星」が描かれていることが分かった。「北極五星」は天帝を象徴する北極星を含む星座のこと。しかし、キトラ古墳の星座は星の数が6個あり、中国や朝鮮半島にみられる一般的なものと相違がある。【同志社大学宮島教授研究】
2002年
4月
国内最古の処方せん 飛鳥京跡苑池遺構
(奈良県明日香村)
飛鳥 中国最古の医学書に基づいた、脳卒中に効く漢方薬「西州続命湯」の処方を記した木簡が発見された。遣唐使が中国から持ち帰った当時最新の医療技術とみられる。【奈良県立橿原考古学研究所発表】
2002年
6月
石材を運ぶ?レール跡 キトラ古墳
(奈良県明日香村)
飛鳥 墳丘南側の石室に通じる道(墓道)に、石材を運ぶためのレール跡が確認された。墓道からは棺や朱雀が描かれている南壁の石材などを運ぶために使用されたとみられる。同様のレール跡は高松塚古墳にもみられるという。【文化庁発表】
2002年
6月
未盗掘の石室 闘鶏山古墳
(大阪府高槻市)
古墳 大変めずらしい完全未盗掘の石室が2基発見された。ファイバースコープで調査したところ、被葬者とみられる頭蓋骨や三角縁神獣鏡や鉄刀などの副葬品が多数みつかった。【高槻市教育委員会発表】→高槻市「インターネット歴史館」
2002年
6月
喜多川歌麿の版木 渡辺美術館
(鳥取県鳥取市)
江戸 浮世絵画家の喜多川歌麿の作品「蹴鞠の図」の版木がみつかった。歌麿の版木は別の絵柄が現存しており、今回で3例目。江戸時代当時、浮世絵の版木は消耗品であり、使い古した版木は薪として使用していため、ほとんど残っていないという。この版木は裏面に地蔵菩薩が彫られており、燃やされることなく残ったのではないかと考えられる。【浅野秀剛・千葉市美術館上席学芸員調査】→渡辺美術館
2002年
7月
国内最大級の豪族館跡 北谷遺跡
(群馬県群馬町)
古墳 古墳時代後期の大規模な豪族館跡がみつかった。同遺跡に近い「三ツ寺T遺跡」の豪族居館と並ぶ規模だという。堀の幅、内郭部の大きさなどが「三ツ寺T遺跡」とほぼ同じことから、同じ設計図があった可能性もある。【群馬町教育委員会発表】
2002年
7月
魏志倭人伝の「一支国」の王墓? 原の辻遺跡
(長崎県壱岐)
弥生 『魏志』倭人伝に登場する「一支国」の首都といわれている原の辻遺跡で、墓域から鏡片・銅剣・玉類などが多数発見された。この三種は王権の象徴といわれることから、当時この地に特定の王がいたことを示す貴重な資料である。【長崎県教育委員会発表】
2002年
7月
安藤氏一族の墳丘墓? 十三湊遺跡
(青森県市浦村)
室町 中世に栄えた湾岸都市の十三湊遺跡で、直径約8メートルの円形塚が発見された。当時一帯を支配していた安藤氏一族の墓の可能性が高いという。墳丘墓だとすれば、中世のものでは日本最北のものとなる。【青森県・市浦村教育委員会発表】
2002年
8月
聖武天皇の宿舎跡? 滋賀県立膳所高校グラウンド
(滋賀県大津市)
奈良 聖武天皇が740年の行幸で滞在した「禾津頓宮」とみられる建築物跡がみつかった。行幸先の宿泊施設は各地にあったとされるが、遺構の発見は初めて。出土したのは3棟の掘立て柱建物跡で、のちに都となった恭仁京跡の天皇の住居に匹敵する規模のものだという。【滋賀県教育委員会発表】
2002年
8月
石山寺本尊から胎内仏4体 石山寺
(滋賀県大津市)
飛鳥〜天平 石山寺の本尊で秘仏の「木造如意輪観音半跏像」の胎内から、銅造の仏像4体がみつかった。4体のうち1体は飛鳥時代のもので、国内最古級の胎内仏だという。【奈良国立博物館発表】
2002年
8月
幻の太平記絵巻第6巻みつかる 埼玉県立博物館
(埼玉県さいたま市)
江戸 南北朝の動乱を描いた合戦絵巻「太平記絵巻」の第6巻がみつかった。「太平記絵巻」は江戸時代初期の作品で、第6巻は現存が確認されておらず、幻の巻といわれていた。イギリスで行われたオークションで出品されたものを埼玉県が落札し、本物と判断した。→埼玉県立歴史と民俗の博物館
2002年
8月
伊能小図初めての発見 東京国立博物館
(東京都台東区)
江戸 伊能忠敬が製作した「大日本沿海輿地全図」のうち、3枚組の「小図」がみつかった。「小図」は、幕府の天文方である高橋景保が昌平坂学問所へ献上した記録があり、この小図にも学問所の朱印が押されていることが分かった。【東京国立博物館発表】
2002年
9月
国内最大の木造墓室 檍1号墳
(宮崎県宮崎市)
古墳 全長51メートルの前方後円墳「檍1号墳」で、木郭(木棺を収めるための木造でできた墓室)がみつかった。九州で確認されたのは今回が初めて。木郭は幅4メートル、長さ7.2メートル、高さ1.5メートルで、それまで最大といわれていた奈良県のホケノ古墳を上回る規模のものである。【宮崎大学・柳沢一男教授発表】
2002年
9月
縄文時代のサケ漁場 石狩紅葉49遺跡
(北海道石狩市)
縄文 河川跡に仕掛けられた「柵」の遺構が17基発見された。この「柵」はサケなどの魚を捕獲する漁労用に使用されたとみられる。河川漁労の遺構としては、国内最古で最大のものと見られる。
2002年
10月
三仏寺投入堂は二代目 三仏寺
(鳥取県三朝町)
平安 断崖に投入れたようなお堂の形で有名な三仏寺投入堂に、平安中期ごろ建立の「初代」があったことが分かった。現在の投入堂は平安後期の建築だが、投入堂内に安置されている蔵王権現像の年代調査で、像の制作が平安中期ごろと判明し、投入堂自体も同時期に初代が建立されていたことが分かった。【奈良文化財研究所・奈良国立博物館調査】
2002年
10月
国内最大級の環状盛り土 井野長割遺跡
(千葉県佐倉市)
縄文 直径160メートルにも及ぶ国内最大級の環状盛り土遺構が確認された。盛り土内からは、シジミを中心とした貝塚や、土器の破片が多数発見された「土器塚」、竪穴住居跡、土偶や石棒など祭祀に使用された遺物等もみつかった。【印旛郡市文化財センター調査】
2002年
11月
人が乗った船形埴輪 殿村遺跡
(長野県飯田市)
古墳 人が船に乗って舵取りをしているとみられる埴輪がみつかった。船形埴輪は全国で約30個出土例があるが、人と一体となったものは全国でも例がないという。発見された埴輪は、死者の魂を来世へ運ぶ「船葬」の観念を示す一級資料とのこと。【飯田市教育委員会発表】
2002年
11月
最古級の前方後円墳? マバカ古墳
(奈良県天理市)
古墳 マバカ古墳の前方部に沿う溝から、3世紀中期ごろとみられる土器の破片がみつかった。出土した土器は庄内式とよばれる土師器の破片約3000点。今回の発見で、従来から卑弥呼の墓といわれてきた箸墓古墳よりも古い古墳の可能性が高くなったという。【奈良県立橿原考古学研究所
2002年
11月
美しい水晶の五輪塔 達磨寺
(奈良県王寺町)
鎌倉 達磨寺本堂床下の石室から、高さ約2.5センチの水晶製の五輪塔がみつかった。五輪塔の中からは約3ミリの水晶製の仏舎利もみつかった。五輪塔は透明度が高く、大変精巧に造られたものだという。【王寺町教育委員会・奈良県立橿原考古学研究所発表】
2002年
11月
戸籍が書かれた最古の木簡 石神遺跡
(奈良県明日香村)
飛鳥 古代の地方行政単位「国、評、五十戸(里)」が記された木簡としては最古のものが出土した。木簡は665年の天智天皇時代に書かれたものとみられ、最初の戸籍である「庚午年籍」より5年前にあたる。今回の発見は、律令国家体制が整っていく過程を示す資料として注目されている。【奈良文化財研究所発表】
2002年
12月
聖武天皇の銅鋳造工房跡 鍛冶屋敷遺跡
(滋賀県信楽町)
奈良 紫香楽宮跡近くで、聖武天皇の命による大規模銅鋳造工房跡がみつかった。遺跡からは溶解炉、たたら、鋳込み場など古代の大鋳造施設跡がみつかった。聖武天皇が743年に紫香楽宮で出したといわれる「大仏建立の詔」を裏付ける貴重な発見となった。【滋賀県教育委員会発表】
2002年
12月
飛鳥京の砦跡 森カシ谷遺跡
(奈良県高取町)
奈良 丘陵上に建立された物見櫓や大型の竪穴式建物跡など、古代の砦跡がみつかった。施設の周囲には三重の柵を巡らせ、侵入者を防ぐための逆茂木や投石用の石もみつかっている。遺跡は7世紀後半のものとみられ、壬申の乱(672年)と時代が重なることから、飛鳥京を防御する砦であった可能性が高いという。【高取町教育委員会発表】
2002年
12月
国内最古の短剣のさや 川崎遺跡
(滋賀県長浜市)
弥生 環濠集落の同遺跡で、鮮やかな赤と黒の漆塗りが施された短剣のさや部分が発見された。さやには古代中国から使用されている「雷文」という文様が刻まれている。短剣はこの地の有力者が権威の象徴として身につけていたものと考えられる。【長浜市教育委員会発表】
2001年 ※所在地名は発掘・発見当時のものです。
発掘・発見
年・月
名  称 所在地 時 代 解  説
2001年
2月
法隆寺・五重塔の心柱 法隆寺
(奈良県斑鳩町)
世界最古の木造建築の法隆寺・五重塔の心柱が、年輪年代測定によって594年に伐採されたものだとわかった。607年創建とされる同寺は、火事で焼失後、8世紀に再建されたというのが定説。心柱の伐採が建立より100年前となり、古い建物からの転用か、再建時期が早まるか、などと波紋を広げている。【奈良国立文化財研究所発表】
2001年
4月
弥生人の脳 青谷上寺地遺跡
(鳥取県青谷町)
弥生 青谷上寺地遺跡から出土した弥生人3体分から脳がみつかった。同時代の脳組織が分析可能な状態でみつかったのは、国内初。日本人の起源など、多彩な情報が得られると期待されている。【鳥取県教育文化財団発表】
2001年
4月
キトラ古墳の朱雀壁画 キトラ古墳
(奈良県明日香村)
7世紀末
〜8世紀初め
キトラ古墳の石槨南壁から、古代中国の「四神」の一つ、朱雀の壁画が発見された。すでに他の三方の壁に、四神の玄武、白虎、青龍が発見されており、四神がそろった日本初の古墳となった。【キトラ古墳学術調査団発表】
2001年
5月
邪馬台国の時代に古墳? 勝山古墳
(奈良県桜井市)
3世紀 勝山古墳から出土した木製品を年輪年代法で測定した結果、同古墳の築造が3世紀初頭と判明した。古墳の出現が従来の説よりも半世紀もさかのぼることになり、邪馬台国の時代にすでに古墳が築造されていたことになる。【橿原考古学研究所発表】
2001年
6月
藤原京跡から木簡1200点出土 藤原京跡
(奈良県橿原市)
飛鳥 藤原京(694〜710年)の跡地から、天皇の秘書的な仕事をする「中務省」に関するものを中心に、1200点の木簡が出土した。大宝律令が701年に制定されており、律令国家初期の行政システムに迫る発見である。【奈良文化財研究所発表】
2001年
7月
伊能忠敬の地図、アメリカで発見 江戸 伊能忠敬が中心となって完成させた「大日本沿海輿地全図」の大図214枚のうち、206枚の原寸大の写しがアメリカで発見された。未発見の約140枚が含まれており、忠敬の測量の全容が明らかになった。【日本国際地図学会などが発表】
2001年
9月
国内最大の家形埴輪 今城塚古墳
(大阪府高槻市)
古墳 継体天皇の陵墓とされる今城塚古墳(6世紀前半)から、推定で高さ170センチの国内最大の家形埴輪を含む埴輪群がみつかった。大王(継体天皇)の葬送儀式の実態に迫るものとして、注目されている。【高槻市立埋蔵文化財調査センター発表】
2001年
10月
元寇の武器「てつはう」引き揚げ 長崎県鷹島町 鎌倉 元寇(1281年)で元軍の船団が沈没したとされる鷹島町沖の海底から、元寇船の外板、マストの台などの部材や、矢の束などの武器がみつかった。また、元軍が使ったともられる火薬武器「てつはう(てっぽう)」が完全な形で初めてみつかった。【鷹島町教育委員会発表】
2001年
12月
キトラ古墳に金ぱくの北斗七星 キトラ古墳
(奈良県明日香村)
7世紀末
〜8世紀初め
キトラ古墳の石槨天井に描かれた天文図のうち、北斗七星などが金ぱくで表現されていたことが判明した。【文化庁調査による】
2000年 ※所在地名は発掘・発見当時のものです。
発掘・発見
年・月
名  称 所在地 時 代 解  説
2000年
1月
日本列島最北の縄文人 船泊遺跡
(北海道礼文島)
縄文 船泊遺跡から発掘された人骨を、国立科学博物館人類研究部が分析した結果、本州から分布する縄文人の最北の集団であることが明らかになった。船泊遺跡の縄文人は、アジア大陸北方の人の要素が混じる可能性も、以前は考えられていた。【国立科学博物館発表】
2000年
2月
長岡京に離宮跡 長岡京
(京都府向日、京都両市境)
古代 桓武天皇が造営した長岡京で、約10ヘクタールに及ぶ離宮が発掘された。これまで発掘された古代の離宮では最大。約10年間(784〜794年)と短命だった都のイメージを変えそうだ。【向日市埋蔵文化財センターと古代学協会発表】
2000年
3月
日本最古の古墳 ホケノ山古墳
(奈良県桜井市)
3世紀 ホケノ山古墳が3世紀中ごろに築造された、最古の前方後円墳と確認された。3世紀の後半に初めて古墳が出現したとされてきたが、ホケノ山古墳は定説を20〜30年さかのぼり、邪馬台国の時代に築造されたことになる。【大和古墳群調査委員会発表】
2000年
4月
国内最大の船形埴輪 宝塚1号墳
(三重県松坂市)
古墳 宝塚1号墳から、国内最大の船形埴輪が出土した。埴輪は全長140センチ、高さ90センチ、最大幅25センチ。大刀、威杖など王権を象徴するさまざまな道具で飾られている。【松坂市教育委員会発表】
2000年
5月
平安時代の太刀 春日大社
(奈良県奈良市)
平安 春日大社の若宮社殿で、螺鈿や銀板で豪華な装飾を施した太刀がみつかった。同神社が創建された1135年に、前関白の藤原忠実(1078〜1162年)が奉納したものと見られる。【春日大社と河田貞・帝塚山大教授らが発表】
2000年
6月
小規模古墳から豪華な副葬品 鴨都波古墳
(奈良県御所市)
古墳 鴨都波1号墳から三角縁神獣鏡4枚や剣、玉類など多彩な副葬品が出土した。小規模な方墳にしては副葬品が豊富で、後の5世紀の有力豪族、葛城氏と関係のある有力者の墓とみられる。【御所市教育委員会発表】
2000年
7月
弥生時代の人骨に武器傷 青谷上寺地遺跡
(鳥取県青谷町)
弥生 青谷上寺地遺跡で発掘した、弥生時代後半(2世紀)の人骨約4000点(約53体分)のうち、少なくとも89点(約10体分)に武器での致命傷があった。埋葬された形跡はなく、初めてみつかった「弥生の戦場」の可能性が高い。中国の歴史書『後漢書東夷伝』には「倭国大乱」の記述がある。【鳥取県埋蔵文化財センター発表】
2000年
8月
推古天皇と皇子の墓か? 植山古墳
(奈良県橿原市)
飛鳥 植山古墳から6世紀末と7世紀前半の巨大な石室がみつかった。時期や場所、規模から考えて推古天皇と、その息子の竹田皇子が合葬された可能性が高い。【橿原市教育委員会発表】
2000年
9月
平安時代の農民心得 加茂遺跡
(石川県津幡町)
平安 加茂遺跡から、平安時代に政府の禁令などを伝えるために街道沿いに掲示された木製の札が出土した。農民は朝4時に農作業に出かけ、午後8時頃家へ帰ること、など8カ条の「農民心得」が記されている。【石川県埋蔵文化財センター
2000年
10月
平安時代の雅楽器 春日大社
(奈良県奈良市)
平安 春日大社の若宮神社社殿から、平安時代後期の楽器、笙と和琴がみつかった。奈良時代の正倉院宝物に次ぐ古い特徴のもので、雅楽器の歴史を探る貴重な資料。【春日大社発表】
2000年
11月
紫香楽宮の遺構 宮町遺跡
(滋賀県信楽町)
奈良 聖武天皇が造営した紫香楽宮(742〜745年)とされる宮町遺跡で、全長90メートルを越す巨大な掘っ立て柱建物跡がみつかった。国家的な儀式を行う朝堂とみられるが、建物の大きさは奈良・平城京級の規模。短命で、離宮との説もあった紫香楽宮が本格的な都市機能を備えていたことがわかった。【信楽町教育委員会と滋賀県教育委員会発表】
2000年
12月
縄文時代は階層社会? 真脇遺跡
(石川県能都町)
縄文 縄文時代中期の真脇遺跡で、地面を掘って板を敷いた墓がみつかった。ほかの人と区別して手厚く葬ったと考えられ、縄文時代の階層化を示す発見とみられる。【能都町教育委員会発表】