発掘・発見 年・月 |
名 称 |
所在地 |
時 代 |
解 説 |
| 2002年
1月 |
最古級の十二支像 |
キトラ古墳
(奈良県明日香村) |
飛鳥 |
2001年12月からの調査で、文化庁は、キトラ古墳石室東壁から、トラとみられる顔に武人の衣装を着た「獣頭人身像」が新たにみつかったと発表した。獣頭人身像は青龍の左下に描かれており、被葬者の守護神とみられる。古墳壁画としては東アジア最古のもの。【文化庁発表】 |
| 2002年
1月 |
天平の宝物300点が出土 |
興福寺
(奈良県奈良市) |
奈良 |
興福寺中金堂の仏像を安置する須弥壇の下から、水晶玉や金板など約300点の宝物が出土した。これらは、奈良時代初めの興福寺創建時に地鎮めの儀式で埋められた「鎮壇具」の一部とみられる。【奈良文化財研究所・興福寺発表】 |
| 2002年
1月 |
豊作を願う?家形土器が出土 |
鳥居松遺跡
(静岡県浜松市) |
弥生 |
環濠集落跡から家形土器の壺がほぼ完全な形で出土した。家をかたどった土器はこれまでに7例みつかっているが、壺状のものは2例目で、今回のものはそれらの中でも最古級とみられる。【浜松市教育委員会発表】 |
| 2002年
2月 |
飛鳥京跡の大池は南北200メートル |
飛鳥京跡苑池遺構
(奈良県明日香村) |
飛鳥 |
大池の北端となる護岸が出土し、飛鳥京跡の大池は南北200メートルにもなることが確定した。大池は、天武天皇らが遊んだ「白錦後苑」内の池とみられている。【奈良県立橿原考古学研究所発表】 |
| 2002年
2月 |
天文図にカラスの絵? |
キトラ古墳
(奈良県明日香村) |
飛鳥 |
天井に描かれている天文図の日輪(太陽)内にカラスとみられる像が描かれていることが明らかになった。古代中国では日輪にカラスが住んでいるといわれ、大陸の思想が強く影響しているものと考えられる。【キトラ古墳保存・調査研究委員会 河上委員分析】 |
| 2002年
2月 |
サルの足?4本足の動物埴輪 |
今城塚古墳
(大阪府高槻市) |
古墳 |
真の継体天皇陵といわれる今城塚古墳で動物の足とみられる埴輪が2点みつかった。5本の指があることから、サルをかたどった珍しい埴輪ではないかと考えられている。【高槻市教育委員会発表】→高槻市「インターネット歴史館」 |
| 2002年
3月 |
巨勢氏の墓?巨大石室と石棺 |
條ウル神古墳
(奈良県御所市) |
古墳 |
奈良県明日香村の石舞台古墳に匹敵する巨大な横穴式石室や石棺がみつかった。墳丘は原型をとどめていないが、100メートル以上と推定される。被葬者は有力豪族の巨勢氏ではないかみられる。【御所市教育委員会発表】 |
| 2002年
3月 |
縄文時代に金属武器使用? |
居徳遺跡群
(高知県土佐市) |
縄文 |
縄文時代晩期の遺跡から、矢じりの貫通した人骨や金属器で切られた痕跡のある人骨が発見された。金属製武器を使った痕跡としては国内最古で、集団同士の戦闘行為の痕跡だと発表。しかし、研究者の中には「金属武器の普及はあり得ない時期」として慎重な意見もあり、議論を呼びそうである。【奈良文化財研究所発表】 |
| 2002年
3月 |
最古級の定住集落跡 |
窪A遺跡
(静岡県芝川町) |
縄文 |
縄文草創期(1万1000年前)の定住集落跡がみつかった。調理に使用されたとみられる集石遺構や祭祀跡とみられる配石遺構なども出土した。土器や石器の出土は2万点以上にのぼる。【芝川町教育委員会発表】 |
| 2002年
3月 |
最古の女性肖像画 |
建仁寺
(京都府京都市) |
室町 |
最古の女性単独の肖像画「総持正傑大師像」が発見された。1379年に描かれたもので、モデルは豊後守護の大友氏泰の母とみられている。【建仁寺】 |
| 2002年
4月 |
天文図に「北極五星」 |
キトラ古墳
(奈良県明日香村) |
飛鳥 |
天井に描かれている天文図に、「北極五星」が描かれていることが分かった。「北極五星」は天帝を象徴する北極星を含む星座のこと。しかし、キトラ古墳の星座は星の数が6個あり、中国や朝鮮半島にみられる一般的なものと相違がある。【同志社大学宮島教授研究】 |
| 2002年
4月 |
国内最古の処方せん |
飛鳥京跡苑池遺構
(奈良県明日香村) |
飛鳥 |
中国最古の医学書に基づいた、脳卒中に効く漢方薬「西州続命湯」の処方を記した木簡が発見された。遣唐使が中国から持ち帰った当時最新の医療技術とみられる。【奈良県立橿原考古学研究所発表】 |
| 2002年
6月 |
石材を運ぶ?レール跡 |
キトラ古墳
(奈良県明日香村) |
飛鳥 |
墳丘南側の石室に通じる道(墓道)に、石材を運ぶためのレール跡が確認された。墓道からは棺や朱雀が描かれている南壁の石材などを運ぶために使用されたとみられる。同様のレール跡は高松塚古墳にもみられるという。【文化庁発表】 |
| 2002年
6月 |
未盗掘の石室 |
闘鶏山古墳
(大阪府高槻市) |
古墳 |
大変めずらしい完全未盗掘の石室が2基発見された。ファイバースコープで調査したところ、被葬者とみられる頭蓋骨や三角縁神獣鏡や鉄刀などの副葬品が多数みつかった。【高槻市教育委員会発表】→高槻市「インターネット歴史館」 |
| 2002年
6月 |
喜多川歌麿の版木 |
渡辺美術館
(鳥取県鳥取市) |
江戸 |
浮世絵画家の喜多川歌麿の作品「蹴鞠の図」の版木がみつかった。歌麿の版木は別の絵柄が現存しており、今回で3例目。江戸時代当時、浮世絵の版木は消耗品であり、使い古した版木は薪として使用していため、ほとんど残っていないという。この版木は裏面に地蔵菩薩が彫られており、燃やされることなく残ったのではないかと考えられる。【浅野秀剛・千葉市美術館上席学芸員調査】→渡辺美術館 |
| 2002年
7月 |
国内最大級の豪族館跡 |
北谷遺跡
(群馬県群馬町) |
古墳 |
古墳時代後期の大規模な豪族館跡がみつかった。同遺跡に近い「三ツ寺T遺跡」の豪族居館と並ぶ規模だという。堀の幅、内郭部の大きさなどが「三ツ寺T遺跡」とほぼ同じことから、同じ設計図があった可能性もある。【群馬町教育委員会発表】 |
| 2002年
7月 |
魏志倭人伝の「一支国」の王墓? |
原の辻遺跡
(長崎県壱岐) |
弥生 |
『魏志』倭人伝に登場する「一支国」の首都といわれている原の辻遺跡で、墓域から鏡片・銅剣・玉類などが多数発見された。この三種は王権の象徴といわれることから、当時この地に特定の王がいたことを示す貴重な資料である。【長崎県教育委員会発表】 |
| 2002年
7月 |
安藤氏一族の墳丘墓? |
十三湊遺跡
(青森県市浦村) |
室町 |
中世に栄えた湾岸都市の十三湊遺跡で、直径約8メートルの円形塚が発見された。当時一帯を支配していた安藤氏一族の墓の可能性が高いという。墳丘墓だとすれば、中世のものでは日本最北のものとなる。【青森県・市浦村教育委員会発表】 |
| 2002年
8月 |
聖武天皇の宿舎跡? |
滋賀県立膳所高校グラウンド
(滋賀県大津市) |
奈良 |
聖武天皇が740年の行幸で滞在した「禾津頓宮」とみられる建築物跡がみつかった。行幸先の宿泊施設は各地にあったとされるが、遺構の発見は初めて。出土したのは3棟の掘立て柱建物跡で、のちに都となった恭仁京跡の天皇の住居に匹敵する規模のものだという。【滋賀県教育委員会発表】 |
| 2002年
8月 |
石山寺本尊から胎内仏4体 |
石山寺
(滋賀県大津市) |
飛鳥〜天平 |
石山寺の本尊で秘仏の「木造如意輪観音半跏像」の胎内から、銅造の仏像4体がみつかった。4体のうち1体は飛鳥時代のもので、国内最古級の胎内仏だという。【奈良国立博物館発表】 |
| 2002年
8月 |
幻の太平記絵巻第6巻みつかる |
埼玉県立博物館
(埼玉県さいたま市) |
江戸 |
南北朝の動乱を描いた合戦絵巻「太平記絵巻」の第6巻がみつかった。「太平記絵巻」は江戸時代初期の作品で、第6巻は現存が確認されておらず、幻の巻といわれていた。イギリスで行われたオークションで出品されたものを埼玉県が落札し、本物と判断した。→埼玉県立歴史と民俗の博物館 |
| 2002年
8月 |
伊能小図初めての発見 |
東京国立博物館
(東京都台東区) |
江戸 |
伊能忠敬が製作した「大日本沿海輿地全図」のうち、3枚組の「小図」がみつかった。「小図」は、幕府の天文方である高橋景保が昌平坂学問所へ献上した記録があり、この小図にも学問所の朱印が押されていることが分かった。【東京国立博物館発表】 |
| 2002年
9月 |
国内最大の木造墓室 |
檍1号墳
(宮崎県宮崎市) |
古墳 |
全長51メートルの前方後円墳「檍1号墳」で、木郭(木棺を収めるための木造でできた墓室)がみつかった。九州で確認されたのは今回が初めて。木郭は幅4メートル、長さ7.2メートル、高さ1.5メートルで、それまで最大といわれていた奈良県のホケノ古墳を上回る規模のものである。【宮崎大学・柳沢一男教授発表】 |
| 2002年
9月 |
縄文時代のサケ漁場 |
石狩紅葉49遺跡
(北海道石狩市) |
縄文 |
河川跡に仕掛けられた「柵」の遺構が17基発見された。この「柵」はサケなどの魚を捕獲する漁労用に使用されたとみられる。河川漁労の遺構としては、国内最古で最大のものと見られる。 |
| 2002年
10月 |
三仏寺投入堂は二代目 |
三仏寺
(鳥取県三朝町) |
平安 |
断崖に投入れたようなお堂の形で有名な三仏寺投入堂に、平安中期ごろ建立の「初代」があったことが分かった。現在の投入堂は平安後期の建築だが、投入堂内に安置されている蔵王権現像の年代調査で、像の制作が平安中期ごろと判明し、投入堂自体も同時期に初代が建立されていたことが分かった。【奈良文化財研究所・奈良国立博物館調査】 |
| 2002年
10月 |
国内最大級の環状盛り土 |
井野長割遺跡
(千葉県佐倉市) |
縄文 |
直径160メートルにも及ぶ国内最大級の環状盛り土遺構が確認された。盛り土内からは、シジミを中心とした貝塚や、土器の破片が多数発見された「土器塚」、竪穴住居跡、土偶や石棒など祭祀に使用された遺物等もみつかった。【印旛郡市文化財センター調査】 |
| 2002年
11月 |
人が乗った船形埴輪 |
殿村遺跡
(長野県飯田市) |
古墳 |
人が船に乗って舵取りをしているとみられる埴輪がみつかった。船形埴輪は全国で約30個出土例があるが、人と一体となったものは全国でも例がないという。発見された埴輪は、死者の魂を来世へ運ぶ「船葬」の観念を示す一級資料とのこと。【飯田市教育委員会発表】 |
| 2002年
11月 |
最古級の前方後円墳? |
マバカ古墳
(奈良県天理市) |
古墳 |
マバカ古墳の前方部に沿う溝から、3世紀中期ごろとみられる土器の破片がみつかった。出土した土器は庄内式とよばれる土師器の破片約3000点。今回の発見で、従来から卑弥呼の墓といわれてきた箸墓古墳よりも古い古墳の可能性が高くなったという。【奈良県立橿原考古学研究所】 |
| 2002年
11月 |
美しい水晶の五輪塔 |
達磨寺
(奈良県王寺町) |
鎌倉 |
達磨寺本堂床下の石室から、高さ約2.5センチの水晶製の五輪塔がみつかった。五輪塔の中からは約3ミリの水晶製の仏舎利もみつかった。五輪塔は透明度が高く、大変精巧に造られたものだという。【王寺町教育委員会・奈良県立橿原考古学研究所発表】 |
| 2002年
11月 |
戸籍が書かれた最古の木簡 |
石神遺跡
(奈良県明日香村) |
飛鳥 |
古代の地方行政単位「国、評、五十戸(里)」が記された木簡としては最古のものが出土した。木簡は665年の天智天皇時代に書かれたものとみられ、最初の戸籍である「庚午年籍」より5年前にあたる。今回の発見は、律令国家体制が整っていく過程を示す資料として注目されている。【奈良文化財研究所発表】 |
| 2002年
12月 |
聖武天皇の銅鋳造工房跡 |
鍛冶屋敷遺跡
(滋賀県信楽町) |
奈良 |
紫香楽宮跡近くで、聖武天皇の命による大規模銅鋳造工房跡がみつかった。遺跡からは溶解炉、たたら、鋳込み場など古代の大鋳造施設跡がみつかった。聖武天皇が743年に紫香楽宮で出したといわれる「大仏建立の詔」を裏付ける貴重な発見となった。【滋賀県教育委員会発表】 |
| 2002年
12月 |
飛鳥京の砦跡 |
森カシ谷遺跡
(奈良県高取町) |
奈良 |
丘陵上に建立された物見櫓や大型の竪穴式建物跡など、古代の砦跡がみつかった。施設の周囲には三重の柵を巡らせ、侵入者を防ぐための逆茂木や投石用の石もみつかっている。遺跡は7世紀後半のものとみられ、壬申の乱(672年)と時代が重なることから、飛鳥京を防御する砦であった可能性が高いという。【高取町教育委員会発表】 |
| 2002年
12月 |
国内最古の短剣のさや |
川崎遺跡
(滋賀県長浜市) |
弥生 |
環濠集落の同遺跡で、鮮やかな赤と黒の漆塗りが施された短剣のさや部分が発見された。さやには古代中国から使用されている「雷文」という文様が刻まれている。短剣はこの地の有力者が権威の象徴として身につけていたものと考えられる。【長浜市教育委員会発表】 |